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2021年2月16日火曜日

DAZZLEHAIKU52[北川美美]  渡邉美保

 囀りの後の羽音と枝の揺れ    北川美美  
 

 庭の白梅が咲き始めると鳥たちがやって来る。チチチ、チュチュチュ…まだ冷たい朝の空気の中、鳥たちの羽音や鳴き声で目が覚める。
〈囀りと聞きとめしとき目覚めけり   林翔〉
 その声を聞きながら、しばしまどろむ。早春の朝のたのしみである。鳥の姿を見ようと、窓を開けると、その瞬間、鳥たち飛び立ってしまう。あ、残念。

 歳時記によると、囀りは繁殖期の鳥の雄の鳴き声を言い、いわゆる地鳴きとは区別して使われるとあるので、掲句の場合、高らかな鳴き声が聞こえていたのかも知れない。

 先程までの、降りそそぐような囀りはもう聞けない。飛び立つときの羽音が耳に、枝先の揺れが目に残っているばかり。
 囀りの明るさに対して、鳥たちが飛び去った後の景色を見ている作者の心の翳りのようなものが感じられる。ほんの些細なことなのだけれど、その一瞬の取り残されたような淋しさ、微かな喪失感が滲む一句である。

〈俳句新空間NO.12 (2020年実業公報社)所収〉

2016年4月24日日曜日

黄金をたたく30  [桑原三郎]  / 北川美美



生涯の顔をいぢつている春よ  桑原三郎 


「春よ」としたことで、春の歓喜を詠っていると解せる。冬の間の強張った顔がやわらぐ季節に顔をいじる。おそらく他者の顔ではなく自分の顔。鏡を見ずに眉や鼻や頬、髪や髭をいじるのであれば、何か考え事をしているとき、というのが大筋だけれど、「生涯の顔」であれば、「いじつている」行為をしばらく見ている、それが「生涯の顔」であると自分が認識する必要があり、その状況から、鏡の前のことなのではないかと想像する。 ふと、鏡の前の自分の顔が気になって「いじる」。また春が巡ってきた歓びと、いつかは死んでいく己の生きてきた顔かたちを自らの手で確めている。どうだ、お前元気か、と自分が自分に問いかける。なにはともあれ自分がつくってきた顔、今まで連れ添ってきた自分の顔なのである。

三郎の「顔」の句は春に詠まれることが多い。身体の中で一番先に春を感じる部位が、顔。逆を言えば、顔に気が付く季節が春である。一年中なにも纏っていない無垢な部位だから一番先に季節を感じるのだ。

手に乗せて顔はやはらか春あけぼの  「花表」
ちるはなや顔(かんばせ)は吹き荒らされて 「龍集」
顔を置く机上はひろし夜の鶯

<『龍集』1885(昭和60)年 端渓社所収>

2016年4月17日日曜日

黄金をたたく29  [桑原三郎]  / 北川美美




鉛筆は地獄を書いてゐたりけり   桑原三郎 


小学校入学の式典を終えた女の子がやってきて、ほぼ空っぽのランドセルにひとつだけ入っていた筆箱の中身を見せてくれた。未使用の削ったばかりの鉛筆、赤鉛筆、消しゴムが綺麗に並んでいた。児童、生徒、学生というのは、やはり鉛筆を使うのだ。大人になると芸術、技巧的な分野は別として、鉛筆を使う機会が激減する。

掲句の「地獄を書く」の措辞は、「地獄」という字を書いたのか、あるいは、「地獄」についての文章を書いたのか、ということになると思うが、地獄に相当する文書、手紙、メモ、作品を書いたのだと予想する。つらいこと、もう懲り懲りということ、経験するに堪えがたいことを書いたのだと思う。そして鉛筆で書いたのであれば、何度でも消して書き直すことが出来ることを意味する。

「で」ではなく、「は」であること、そして「ゐたりけり」により、過去の回想にとどまらず、時間の経過、つまり、鉛筆というものは、昔から、地獄のことを書いていて、今もそうなんだ、という作者の認識が含まれていると考察する。

鉛筆であれば、書き直すことができる。遺書、遺言、恋文、俳句…、それは地獄の黙示録に相当する。


鉛筆の遺書ならば忘れ易からむ  林田紀音夫


鉛筆は無季にこそ、味わいがあると教えてくれる。掲句はその典型である。



<『龍集』1885(昭和60)年端渓社所収>

2016年4月10日日曜日

黄金をたたく28  [桑原三郎]  / 北川美美



春闌けて落ちるおちると川の水   桑原三郎

春爛漫の頃、花々や鳥たちが賑やかになり心落ち着かなく、外へ出たいと思うようになる。その頃は同時に水を感じる季節でもある。すべてが清々しく、あぁ春だと思う。掲句は春の中にいる作者に虚しく映っている水の景である。大自然の摂理の中に生きる人間の業の悲しみが伝わる。おそらくそれは中七の「落ちるおちる」にインパクトがあるからではないか。落ちていくことが解っている景を見ているにも関わらず、その危うさに虚無感が感じられる。落ちるおちる、あぁ落ちていった、というような作者心理が伺える。


春が闌けているのに「落ちる」という逆の構造、そして「落ちるおちる」のリフレインと表記が<散る>を徐々に連想させ、読者を空虚の世界へと引き込んでいく。


川の流れを見て、思い出すのは、下記の方丈記の冒頭だ。


ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず    鴨長明


水の流れを人の営みや、時の流れに重ね合わせてきたのが、詩歌の歴史でもある。落ちるもの・・・恋として見ることもできる。そしてすべては下五「川の水」へと繋がり流れていく。夢なのか現なのかとその境がわからなくなる間(あわい)に作者立っているのである。


<『龍集』1885(昭和60)年端渓社所収>

2015年11月13日金曜日

黄金をたたく27  [西東三鬼]  / 北川美美



水枕ガバリと寒い海がある  西東三鬼

 出世作、そして三鬼が俳句に開眼した有名句である。読むほどに大胆。三鬼句の魅力は直観の鋭さと予測できない大雑把な感覚表現にあると思う。

 「水枕」と「寒い海」の取り合わせが相当衝撃な上、「ガバリ」が飛びぬけて唐突だ。水が大きな音をたてる擬声音、突然物事が起きる擬態音のどちらにもとれ、どれがどちらでも佳いことのように豪快で大袈裟な感覚が残る。加えてカタカナ表記が蛍光点滅して見えてくる。(初出の京大俳句投句時は「がばり」である。)
  
  リアリズムとはなんぞ葡萄酸つぱけれ (全句集・拾遺)

 三鬼ひいては新興俳句が文学上のリアルについて意欲的に考察した。外来語を多用した三鬼だが、副詞的用法のカタカナ表記が生き生きと臨場感ある表現として効いている句は後世にもまだ掲句のみかもしれない。

三鬼が積極的に関わった「新興俳句運動」は モダニズム、ダダイズム、ニヒリズムとも合流し反伝統を旗印にし、時を越え、蛙が飛び込む水の音さえ「ガバリ」と聞えてくる。

 ウルトラ怪獣として命名されたダダ、ブルトンは三鬼句には登場して来ないにしても掲句はバルタン星人の作句と思える衝撃が今もある。

以上 面115号(2013年4月)から加筆転載
<昭和11 年作の句 『旗』所収 西東三鬼全句集 沖積舎>

2015年11月1日日曜日

黄金をたたく26  [矢上新八]  / 北川美美



行秋やこないなとこに人の家  矢上新八

過ぎ去って行く秋の景に、人家をみつけた。「こないなとこ」の大阪・京都あたりの関西弁が面白い。はんなりとした響きがある。しかし、繰り返し読み続けると、移り変わる季節、その次に世の中の殺伐とした全体の景が浮かび、その風景の中にいる「こないな」を使う人が貴族的階級の人なのではないか、という想像が働く。河原、人里離れた山奥、船着き場の片隅、はたまた工事現場、ゴミ置き場や不法地帯、ビル屋上、地下の秘密基地、ツリーハウス、テントなどもそれにあたるだろう。もしかしたら格差社会の底辺かもしれない人たちの様子に驚き、生きることのたくましさに感心し、同じ暮らしは出来ない、と腹をくくっているようにも読める。

句集のところどころに話し言葉ともいえる大阪弁が駆使されている。NHK時代劇「銀二貫」朝ドラ「マッサン」で久々に大阪弁を身近に感じられたばかりだったが、作者は大阪弁での句を30年以上も作っておられ、生れも大阪北区の商家のお生まれである。

身一つがどないもならん秋の暮
なんやはじまる山懐の笛太鼓
行く夏に捨るもんほって昼寝かな

「どないもならん」「なんや」「ほるもん」「むさんこ」「よおさん」・・・やわらかいだけでなく、どこか女性的な響きがある。調べると、大阪弁の中には船場言葉といわれる商人の言葉があり、京都の女言葉が交じり、商いや取引で必要な丁寧・上品さがあるといわれている。 助詞の「が」「を」が省略され、例えば「目が痛い」は、「目エ痛い」となる。句のイントネーションは、もしかして「秋の暮」が「アレ」になるべきなのか考えた。いや違う、「身一つ」の句は、船場言葉では「身イひとつ」で五音となるべきだろうが「が」が入り「身一つが」として「どないもならん」に重きがかかっている。他では代用が効かない大阪言葉を観念として駆使するのは簡単にはいかないだろう。認知度の高い大阪弁、それもある程度の階級意識が高いといわれている船場言葉だからこその世界を創り出している。 

ちなみにインターネットの質問箱検索で大阪弁の「こない」を検索してみると、現在、四十代以下は使用していないという回答が多く寄せられていた。「こないなとこ」は、もはや消えてゆく方言に分類され、むしろ、古典表現になるのかもしれない。


掲句は住む世界が異なれば言葉も異なった大阪弁により不思議な物語を紡ぎ出す。


( 作者は巻末に「方言の索引」として「大阪ことば辞典」他を参照に解説をつけていらっしゃる。何処にも船場言葉とは記載していない。)


<「浪華」2015書肆麒麟所収>

2015年10月24日土曜日

黄金をたたく25  [宮崎斗士]  / 北川美美



スプーン並べる間隔いつのまにか秋 宮崎斗士


英語のスプーン(spoon)はオランダ語(spaaon)、ドイツ語(span)と同じく木の切れ端、もしくは木の裂いたものという意味が語源だそうだ。ちなみにフランス語のスプーンにあたるものは、キュイエール(cuiller)で、ラテン語の貝(cochleare)が語源。

西洋では「銀のスプーン」を出産祝に贈る習慣があり、「一生食べ物に困らない。」「一生お金に困らない 」...の願いが込められる。

この句のスプーンも、テーブルウエアのカトラリーとして使うスプーンだろう。「スプーン並べる」とあるのは、これから使用するかもしれないスプーン、あるいはオブジェとしてのスプーンを延々と並べている風景が想像できる。日本にシチュエーションを合わせるとホテルの宴会場やカフェで黒服のお兄さんがセッティングしている姿が想像できる。 スープ、あるいは、食後のコーヒーか、デザートでのスプーンあたりかと予想する。用途によって形や大きさが異なれどスプーンは「食」を連想させる。 ゴルフの三番ウッドもスプーンという別名があるが、これも食器のスプーンから来ている。

スプーンだけを並べている黒服のお兄さん(ギャルソンあるいは執事)は何を考えるのか、その間隔を正確に配置することが仕事なのだから、スプーンとスプーンの間隔に集中しているはずだ。 並べるという単調な作業に慣れて来ると、このスプーンを使うお客様、あるいはご主人が何を召し上げるか、誰とそれを召し上がるのか、どんな時間を過ごされるのか、、…などなど他人様の生活を想像して、それがギャルソンあるいは執事としての一瞬の業務上の愉しみであり、次の行動をとるためのヒントにもなる。黒服のギャルソンまたは執事は想像力が豊かでなければならない。

昼メロ風に場面を考えみる。フランス風カフェの道側の席にふと、美しいマダムが座る、ご婦人に黒服のギャルソンは、「奥様、何か御用でしょうか?」と尋ねる。 「珈琲を二つ」それから「タルトタタン(フランス風の焼き林檎のタルト)をひとつ」 連れのお客様がすぐに来るらしい。 今まで並べていたスプーンから、珈琲用のスプーンを二つとデザート用のスプーンをひとつ取る。 今まで並べてたスプーンがそこから無くなり、当然、今まであったスプーンが確保していた領域分の空間がそこに生まれる。

ここでは等間隔かの詳細がわからないが、今まで積み重ねて作って来たスプーンとスプーンの間隔に生まれていた安定性が、並べたスプーンが無くなる度に当然不安定になる。スプーンを並べる行為は、その間隔に何が起こるのかを考えていく作業である。間隔に緊張感が生まれて美しい配置となるのである。 トランプが並べられて美しいのと同じで、西洋様式のものは間隔の規則制をもって美しさの黄金律がある。 間隔を考えて並べている行為は馬鹿馬鹿しくもあり哲学的、美学的ともいえる。

「ニュートンのゆりかご」がカチカチと音をさせているような気にもなる。 そんなことを考えているうちに秋になった、ということだろうか。物思いにふけるには秋が最適だ。なので「いつのまにか」なのである。 

人生における真剣さと可笑しさが入り混じっている。知的なミスタービーン風。 いわば、俗と雅とを渡っている、まさしくそれは俳句の美味しいところなのではないかと思う。

<『そんな青』六花書林2014年所収>

2015年10月16日金曜日

黄金をたたく24  [飯田冬眞]  / 北川美美



時効なき父の昭和よ凍てし鶴  飯田冬眞


作者の父上にとっての「昭和」、それも「時効がない」。無期限の探し物あるいは喪失感、何か背負っているものが終らない気配がある。昭和を生きた父上の世代。おそらく戦前のお生まれで戦中、戦後を生き抜いてこられた世代だろう。何があっても身じろぎたじろぎをしない一本足で立つ凍鶴が父上の姿の象徴となって作者に映っているのだ。「父」が暗喩ではなく、実際の肉親、血族である「父」でことが伺える。

昭和という年号は、平成になり早四半世紀が過ぎているが、不思議と過ぎ去った感覚にならず終わりが見えない。時代に何を想うかは、生年による差もあるだろう。三橋敏雄の「昭和衰え馬の音する夕かな」、この作成時、昭和は確かに終わってはいなかったが、不穏とも思える「馬の音」が、いつまでも不気味な恐怖となって迫りくる予言ともいえる作品だと筆者は思っている。作者の父上はおそらく敏雄と同世代あるいは大きな歳の差は無いように思われる。作者の父上も敏雄も同時代を生きた「昭和」、そして作者と筆者もその「昭和」に生を受けた。簡単には言い尽くせない「昭和」。「昭和」は歴史上で長くそしてあらゆる事象を包括する激動の時代だった。「時効がない」というのは、過去形ではなく、今もその時効がないことが続いている、そしてこれからも続くのだ。「時効なき」ということにより、一層「昭和」に終わりがないことが伝わってくる。

ここで【時効】の意味を辞書で確認してみると、

ある事実状態が一定の期間継続した場合に,権利の取得・喪失という法律効果を認める制度。 「 -が成立する」 → 取得時効 ・ 消滅時効 
一般に,あることの効力が一定の時間を経過したために無効となること。 「もうあの約束は-だ」
<三省堂 大辞林>

法律上の用語として使われることが多い「時効」という言葉。句集のところどころに、社会というあるシステムの中で、生きることに懸命な作者に遭遇しなんともドラマチックである。

赤とんぼわすれたきことばかり増ゆ 
母の日に苗字の違ふ名を添えて 
がんばれといわれたくなし茄子の花 
捨てた名と捨てた町あり秋暑し 
始まりも終わりも素足失楽園


掲句から、親が背負ってきたものが子に引き継がれる累々とした血の脈略を感じる。作者自らその時効のない何らかの喪失を引き受ける姿勢が伺える。その遺失を探す態度が今後も俳句に反映すると予感する句である。 

<「時効」ふらんす堂2015所収>

2015年10月9日金曜日

黄金をたたく23 [杉山久子]  / 北川美美



秋天やポテトチップス涙味  杉山久子

ポテトチップスは身近な乾き物(といってよいのか)である、口淋しいときにポテトチップスが小腹を満たしてくれる。こだわりのある作者であれば、ポテトチップスの新作味は相当試されているのではないかとすら想像できる。男梅味、夏塩風味、BBQ、コンソメパンチ、のりしお…etc. 最近は地域限定やら、季節限定やらで、日本のポテトチップス浸透も相当なもので国民的乾き物の地位を獲得している。

因みに筆者は、英国好みゆえに、ソルト&ビネガー(カルビーでは、フレンチサラダとなっているが酢が効いている味。あるいは“スッパムーチョ”でも代替えが効く。)が無性に恋しくなる。形状では、高級志向の厚切りポテトチップスはどうも好かない。パッケージデザインで買ってしまうポテチもある。フラ印のポテトチップスである。こんな感じです。(http://matome.naver.jp/odai/2139312140924061501


作者も筆者同様、きっとどんなときにもポテトチップス、通称ポテチが欠かせない存在で、コンビニに行って買う気もないのに手に取って買ってしまうのではないか、その境遇に共感するのである。ポテトチップスは、この国ならではの通称:ポテチに成長したのだ。

さて作者はこれを、秋天にポテトチップスを口にして、それを涙味としている。どんな時も小腹が減るのである。喜びに似た飲食という行為が一転して涙の味を感じるというのが人間の心理の複雑性を孕んでいるかのうようである。失恋かもしれない涙、もしかしたら昔の恋を思い出している涙なのかとも想像できるのだが、それをポテトチップスの味に仕立てているのが爽やかである。


<「泉」ふらんす堂2015所収>

2015年7月24日金曜日

黄金をたたく22 [池田澄子]  / 北川美美


プルヌス・フロリドラ・ミヨシに間に合いし  池田澄子


些か時期的に遅い掲出になってしまったが、豈57号で気になっていた句である。知識が無い上で鑑賞してみると、この「プルヌス・フロリドラ・ミヨシ」が謎である上、眼目である。何故これが気になるのか…、それは、語感、音感なのだと思う。

何のソラミミなんだろうか考えていたところ、本家「俳句新空間」で語られている筑紫×福田書簡のバルトにあった。ロラン・バルトの書に、『サド・フーリエ・ロヨラ』(みすず書房)がある。哲学を語るつもりは無いが、「サド・フーリエ・ロヨラ」と「プルヌス・フロリドラ・ミヨシ」と語感が(若干無理矢理)似ている。ラテン語から来る響きがそう思わせるのだと思う。「サド・フーリエ・ロヨラ」(正確には中黒ではなく点を使用 「サド、フーリエ、ロヨラ」)のAmazonでのブックデータが以下。

呪われた作家サド、稀有のユートピア思想家フーリエ、イエズス会の聖人ロヨラ、背徳と幻視と霊性を象徴する、この三人の“近代人”の共有するものは何か。著者バルトは、言語学、記号学の方法によってのみならず、これに社会学、人類学、精神分析等の知見を加えて、彼らが、同じエクリチュール(書き方)をもつロゴテート(言語設立者)であることを明らかにする。ロゴテートとは、既存の言語体系に基礎をおきながら、これを超えた新しい言語宇宙の創設者をいう。この宇宙は、音声、記述言語によるだけでなく、さらに、行為としての言語(サド)、イメージとしての映像言語(ロヨラ)を含んでおり、ここにはバルトの現代的言語観が反映されている。本書の特色は、三人のもつ思想の内容にではなく、各人の表現形式に焦点をおき、分析を展開している点である。

具体的にどういうソラミミなのかというと、「プルヌス・フロリドラ・ミヨシ」が三人の登場人物に思えるからだ。まさに背徳と幻視と霊性を象徴する三人に逢った気がして更に「間に合った」のだから尚さら良いことだろうと想像が膨らむ。行為としての言語(プルヌス)、イメージとしての映像言語(フロリドラ)、そして実際に生きていた近代人の名称(ミヨシ)が新しい言語宇宙を繰り広げるのである。

いずれにしてもラテン語の三語がある宇宙感を作り出す。これを俳句に持ってくるにはロマンが感じられる語でないと効かないのだろうなと思う。

おそらく、言葉の並びから「プルヌス・フロリドラ・ミヨシ」が学名であることに気が付く読者もいるだろう。謎解きすると、「プルヌス・フロリドラ・ミヨシ」は中将姫誓願桜(ちゅうじょうひめせいがんざくら)という岐阜県岐阜市大洞の願成寺境内にある世界に一本だけある桜の学名だそうだ。

因みに、このミヨシは命名者名、三好学(みよしまなぶ)のこと。(1862年1月4日(文久元年12月5日) - 1939年(昭和14年)5月11日)、明治・大正・昭和時代の植物学者、理学博士である。日本の植物学の基礎を築いた人物の一人。特に桜と菖蒲の研究に関しての第一人者であった。Miyoshiは、植物の学名で命名者を示す場合に三好学を示すのに使われる。並びでいえば、属名+種小名+発見者名,ということになる。桜と同じ岐阜出身のプラントハンターだ。

植物学(あるいは植物画)は忠実な事実の写生の記録である。芸術は写生から始まる。この句の言葉から触発され、言葉が宇宙を創り出していく。俳句実作者は、バルト風に言えば、ロゴテート(言語設立者)、ということになる。




<俳句空間「豈」57号2015年4月所収>

2015年6月26日金曜日

黄金をたたく21 [松岡貞子]  / 北川美美



風に吹かれて蜘蛛来るあなたの耳もくる  松岡貞子

耳は詩になる身体部分なのだろう。私の耳は貝の殻…のあの一節を思い、そう思う。

Mon oreille est un coquillage
Qui aime le bruit de la mer 
( Jean Cocteau, Cannes V )

私の耳は 貝の殻
海の響を懐かしむ
( 堀口大學 訳 )



掲句、恋人同士の待ち合わせのように思え、おしゃべりな作者と聞き役の彼を想像した。しかし、まだここは、「くる」としているのでまだ来ていない。もしかしたら死んでしまった、あるいは別れた恋人に話を聞いてほしくて懐かしんでいるのかもしれない。更にこの「あなた」、今、この句を見ている読者のことを指しているとも読め、夜の静けさの中に、ふっと心地よい風が吹き、作者に誘われ暗示にかけられている気になる。少々怖い句でもある。 

初めに作者が期待するのは「蜘蛛」で、風に吹かれて本当に「蜘蛛来る」のかの疑問は残るが、蜘蛛が意思を持ってやってくるように思える。「来る」と「くる」が重なるので作品として味がある。

まだ蜘蛛もあなたも来ていない、風も吹いていないかもしれない、しかし作者が室外ににひとりで立っている情景がわかる。そして、淋しいとは感じていないことが伝わる。それは作者にとっての「あなた」という存在があるからなのだろう。しかし、待っているものが来なかったらどうなるのだろう。やはり怖い句である。


掲句は、かの「俳句評論」同人誌から見つけた。各同人への短い作品評を三橋敏雄が書いている。敏雄は逢瀬と捉えている。

手元の字引で「媾曳」(筆者注:あいびき)を見たら、「男女の密会」とあってびっくりした。密会はどぎつい。仏蘭西語ならランデヴーだが、いい日本語訳はないものか。このような句のために。
同人作品評:三橋敏雄


<「俳句評論90号」昭和44年(第83・84号 同人作品評より)>

2015年5月13日水曜日

黄金をたたく20 [金原まさ子]  / 北川美美



塩漬の牛肉(ぎゅう)をください十字切る  金原まさ子

映画『ゲルマニウムの夜』(原作:花村満月)は、少年が殺人を犯し、警察の手の届かない修道院へ戻り、教会で殺人の告白をするシーンから始まる。そこに雪の中を走る黒い牛たちが映る。映画・小説ともに、暴力・セックス・同性愛を通して、神聖なるものへの欺瞞を描いた作品といわれる。上掲句は『ゲルマニウムの夜』と被るからくりが見える。

「ください」で懇願あるいは欲求を示し、「十字切る」によりキリスト信仰を表現する。<塩漬けの牛肉>は、干せばビーフジャーキー、缶詰であればコンビーフといったところだろうか。ちなみに缶詰瓶詰、発酵食品にいたる保存食が急速に発達する影に、いつの時代も戦争が関連してきた歴史がある。例えば、ナポレオン時代の政府は兵士の滋養がとれるよう懸賞金を懸けて考案を募集し、二コラ・アペールという食品加工業者が12000フランを獲得する。日本の戦国時代も陣中食として、にぎり飯、干飯、梅干し、切り干し大根、芋がら、吉備団子…手軽にエネルギーを補うための食事方法が発達する。保存を効かせた食材は貴重なエネルギー源であり、生き延びるための方法なのだ。

作者が欲している<塩漬けの牛肉>はもしかしたら戦争あるいは災害時のための非常食かもしれず、あえて牛としているのは、都会で育った作者の食へのこだわり、すなわち生に対するこだわりと解した。

古来日本では牛は農耕を助ける貴重な労働力であり神聖な動物であった。元来日本では家畜の獣を食す習慣がなく、牛肉が庶民的になるのは文明開化以降になる。なので<十字を切る>は文明開化後の食習慣を表すに理にかなっている。おそらく作者が育った時代も牛肉を食するのは限られた家庭だっただろうと想像する。

掲句は豈57号<招待作家・50句>表題「パラパラ」の冒頭句(一句目)である。<塩漬けの牛肉>を欲するのは、生きているこだわり。そのこだわりにこそ人類の救いと希望があるという作者の信条がみえてくる。そしてこの句からはじまる50句の作品を読む倫理は各読者の中にある、という読者へのメッセージと読める。

<俳句空間「豈」57号招待作家・50句「パラパラ」2015年4月所収>

2015年5月1日金曜日

黄金をたたく19 [利普苑るな]  / 北川美美


是非もなく長女なりけり梅を干す  利普苑るな 

長女の重圧が伝わってくる。作者はそれを否応なしに受け入れざるおえず、日本の伝統保存食、梅干しを作っている。多分、子供の頃より自分の立場をわきまえて我慢してきた人とご苦労を感じる。「おねえちゃんなんだから」という声がいつも頭に響いている人なのだ。梅干しの酸っぱさがしみじみと伝わる。

あとがきに因れば、作者の母上は27年前に他界されている。きっと母上亡き後の家の整理、家族の世話など、諸々を引き受けて来られたのだろう。丹精込めて作った伝来の梅干しもこの作者は惜しみなく兄弟姉妹にも配ってしまう方だろうと想像する。<なりけり>の<けり>の効果がある。

失せやすき男の指輪きりぎりす><壺にして竜胆の声鎮まりぬ><あつけなく猫の逝きたる桜かな><すかんぽやこの世に会えぬ師のありし>など共感できる句が詰まっている。
作者は1959年生まれ。自分と同世代の女性である。

今年は梅干し作ろうかどうしようか、梅の実が色づき、五月がはじまった。

<『舵』(2014年9月 邑書林)所収>

2015年4月24日金曜日

黄金をたたく18 [高橋修宏]  / 北川美美


和を以てなお淫らなるさくらかな  高橋修宏 

桜とはだいたい淫らな感じと思っるので掲句はツボにはまる。日本国の象徴でもあり、国が栄えるということの目出度い雰囲気のある花、日本人の精神性に置き換えられるといわれている桜である。 その桜、そしてそれを愛でる人達も含み、ややアイロニーの視線でみている心情と読む。

江戸・吉原の桜は、歌舞伎の舞台でもよく登場するが、当時の吉原の桜並木はレンタルでその時だけ植えられたいわゆるチェルシーフラワーショーのような人寄せ桜だった記録を見る。 桜が人の心をワクワクさせ、日常から離れた気分にさせる効果を狙ったのだろう。 ソメイヨシノの明治以後の爆発的人気に、桜並木、桜の名所に人が寄ってくる、老若男女、集ってくるのである。

「和を以て貴しとなす」は聖徳太子が制定した十七条憲法の第一条。日常では使われないその文言の凛とした感じにハッとする。作者はその意味に同意しつつ、<なお淫ら>で「とはいってもねぇ」と思っている。物事すべてに表と裏がある。美しさが醜さを含んでいるように。

<なお>により、この桜は、しばらく咲き続けている満開の桜の風景なのだろう。散る前ぎりぎりの桜のように思う。桜の花の重みで少し枝が揺れている姿も見えてくる。

《『虚器』2013草子舎》

2015年4月18日土曜日

黄金をたたく17 [竹岡一郎]  / 北川美美



はつこひに蓮見のうなじさらしけり   竹岡一郎


「蓮見のうなじ」とくると、襟を抜いた妖艶な着物(あるいは湯上りの浴衣)姿の女性が浮かぶ。「うなじ」は女性のセックスアピールの箇所で男性が見てゾクっとくる視覚的な箇所。「はつこひ」の頃の無知だった自分の恋に自分の性的うなじをさらけだす、それも蓮の花を愛でる成熟した女になった。いささか自意識過剰な女性句という印象を持つが(作者は男性だが)、キーになるのは「さらしけり」の<さらす>が、「恥をさらす」「さらし首」などの用法から、本来は望んでいないことを露呈していると解釈でき、その真意を深読みしてみる。

本来は見られたくない姿…「鶴女房」(あるいは「鶴の恩返し」)を連想した。鶴の<つう>が昔、命を救ってくれた恩義から人間に姿を変えて<与ひょう>の嫁になるが、鶴の姿で機織りをしているところを<与ひょう>に見られてしまう…<与ひょう>はそれを見て腰を抜かす。一説では、鶴が羽を広げた姿から出産のシーンを見てしまったとも言われている。もともと、動物である人の姿が人にとって至極残酷な姿に映る。性交、血まみれの出産、あるいは排泄、そして人間もいずれ死に、屍になり、放置すれば腐っていき蛆がわく。それを見たくない、見せなくないものとしている。それを人としての尊厳と考える。「古事記」の中のイザナギが黄泉の国で死んだ妻の姿が全身腐乱して蛆虫がわいていた、という箇所が元ネタである。人は、人が動物である事実を受け入れ、人として成長していく。しかし、うなじ…。

「うなじ」を作者の意思でさらす…、「うなじの苦い思い出」を「はつこひ」に差し出しているという景がみえる。「はつこひ」の頃はウブだったが、今はうなじを…というか…男根のことかもしれない…。過激な深読みになってくる。しかし、うなじはやはりうなじであり、頭をささえている頸椎のあたり。「はつこひ」という淡く苦い自分の原点に、今の自分を問う姿勢と考える。

自ら<蓮見のうなじ>をさらすことにより、「はつこひ」にも、読者であるこちら側からも見えないもの…、それは正面にある顔。「はつこひ」という昔の恋と対極に、老いていく自分の顔、あるいは鬼かもしれない自分の顔が隠くされている。怖い!でもなんだか解る…その光景。能の演目のようでもある。

遠い「はつこひ」も性的な「うなじ」も「さらす」という行為を介して、蓮池の水面の表と裏に対峙している。過去と現在を行き来でしながら、一人称である作者は蓮池に立っている。

所収される句集『ふるさとのはつこひ』には漫画家・逆柱いみり氏の奇々怪々とした装画そのままの異次元の世界がある。

《『ふるさとのはつこひ』2015ふらんす堂所収》





2015年4月10日金曜日

黄金をたたく16 [遠山陽子]  / 北川美美



老人を老犬が曳く桜かな  遠山陽子

桜前線が北上している。Facebook、Twitterなどを通じての桜を見ていると、東京の桜がことさら豪華に見えるのはやはり、鑑賞用のソメイヨシノが江戸の発祥で、江戸期の河川の整備にともない桜、柳が植えられたことに起因しているように思う。爆発的人気となったのは、明治以降というのだから、そう古い歴史ではないのだ。今年はニュースで外国人観光客に桜が人気ということが取り上げられていた。歌の中の桜は、平安の時代から詠み継がれているが、桜の種類や歴史を調べることにより、意外にその読みの範囲が多義になることに気が付く。その年の桜を何処で誰と見ていたのか、というような想像、まさしくfacebook的な取り上げ方に興味が湧くかどうかというところだろうか。

掲句、作者はひとりでいるのかもしれないが、たまたま、老犬に曳かれる老人を見た。その背景に桜が咲いていたという設定。おそらく散歩のコースなので、公園や街路樹という場所だろうか。なので桜の種類はソメイヨシノと想像。

「老人を老犬が曳く」(言い換えれば、老犬が老人をリードしている)というのが面白い措辞であり、犬側からみると、それには2つの理由が考えられる。

(1)老人が一番のボスでないので犬がリードしているというケース。おそらく郊外の一軒屋に暮らすご老人で、一番のボスは老人の息子または娘。老犬が勝手に先を歩いて躾が悪いケース。

(2)同じく、郊外の一軒屋に暮らすご老人で、息子または娘の家族と同居だが、ご家族がご老人に対して尊敬と愛情をもって暮らしていらっしゃる、なので犬側が「俺がリードしなければならない」という使命感で先を歩いているケース。坂道を上っているのかもしれない。

2ケースとも、その状況設定が老人にとって幸せかどうかはわからないが、少なくとも傍若無人な老人ではなく、家族とともに多少遠慮がちに余生を送っている、という想像である。

筆者の暮らす地方のとある町では、「老人が老人を曳く」「老人が老人を乗せる」(元気な老人であれば人と集うのだが、ほとんどの老人は一人で手押し車を押している。)というケースが散見される。町の医師会の予測では、20年後にはその老人すらもいなくなる、市が存続するかどうかわからない恐ろしいデータが出ているらしい。ソメイヨシノであれば桜の寿命も同じくらいかもしれなく、なんとなくネガティブな想像もする。

それよりも掲句の老人が無事に帰宅できたのかが気になる。飼い主が倒れたり、緊急の事態になったとしても犬は勝手に帰宅するらしいので…、と余計なことばかり想像してしまう。それだけ人に勝手な想像させる効果が桜にあるからだろう。

《『弦響』2014年角川学芸出版》

2015年4月6日月曜日

黄金をたたく15 [上野ちづこ]  / 北川美美



不機嫌である特権 娘たちに  上野ちづこ

特に春を詠む句ではないが、春の気分に相応する。吹き出物が出る思春期はとうに過ぎても、我慢していたことが突出するような感情は、ことさら春に出やすいのではないか。ネガティブな感情は押し殺すべきだ、と思えば思うほど不機嫌になる。娘たちに限らず、人間に不機嫌である特権があってもいいのかとは思うが、社会生活の上ではやれパワハラ、セクハラ、モラハラという言葉と結びつき何かと問題視され、不機嫌になることにより自己に跳ね返ってくるものが予想外に大きい。感情がうまく処理できないことになると、有名な一文でいう、「とかくに人の世は住みにくい。」と感じることになる。かの『草枕』の冒頭部分も春に出来たのではないかと思う。

この句、「娘たち」に限って不機嫌の特権を与えているところが、さすがの後に社会学者として高名になる上野千鶴子女史の句である。「娘たち」とは未婚の出産経験のない女性たち(ただし20~30代くらいと想定しよう)のことだろう。娘たちはいつも笑っていること、にこやかなことが必須という社会的認識が我々に植え付けられていることが、句の作成から25年経過した今でも変わっていない可笑しみみがある。

「娘たちに」をいろいろ置き換えたらどうなるのか考えてみた。例えば、「妻たちに」「夫たちに」であったら恐ろしい離婚劇、「老人たちに」であれば、年金問題への反逆、さらに具体的な会社名、「マクドナルドに」とか「松屋に」としたら社会性俳句か?とも思える組織への反逆ともとれるし、もっと大きく「市民に」「国家に」とすると政治的感情と解することができる。「不機嫌」というのは恐ろしい人間の感情であることが味わえる。

現在、貧困という格差の狭間に息を潜めている「娘たち」がいることも確かである。そういう作者の先見の眼も感じる。作句時に「娘たち」のひとりであった作者の並外れた「知的な大人らしさ」が漂うのである。

娘たちよ! 大手を振って不機嫌になって、世の中を変えていってください。


減るもんじゃないし 感情の大浪費
からだという一つのうそをまた重ね
腐ってゆく貝とひとつ部屋に居る
むきみのあさりとなって悪戯(ふざけ)あう



《「黄金郷」1990年深夜叢書》


2015年2月27日金曜日

黄金をたたく14 [和田悟朗]  / 北川美美


春の気と春の水あり池をなす 和田悟朗

気と水。 

気は見えない。しかし、集合体となり凝固して可視的な物質となり、万物を構成する要素とする解釈がある。水は液状のものの全般であり、日本語では湯に対比して使われる。池は溜まるものであり、窪みがないと溜まらない。地形を成すことと解釈する。春は地球を意識する。万物の根源が春にはじまる宇宙的概念を想う。春は繰り返され、生命が生まれる。

春大地水を湛えて渚なす  『風車』
多時間の林を抜けて春の海 
空間を貫く時間鳥渡る
空間を曲し一徹やいかぐら
たましいの膨れんばかり黄砂の中

水も気も雲も土も、宇宙に存在する一切のもの。森羅万象の「森羅」は樹木が限りなく茂り並ぶことであり、「万象」は万物やあらゆる現象である。あらゆる存在物を包容する無限の空間と時間が広がってゆく。

和田悟朗氏が春の日に逝ってしまった。魂が宇宙に存在しつづけることを思う。黙祷。

2015年2月21日土曜日

黄金をたたく13 [橋閒石]  / 北川美美



陰口もきさらぎ色と思いけり  橋閒石

色名から色調を想像するのは楽しい作業である。一斤染、紅梅色、裏柳、若竹色、青丹、松葉色…色名と数々の色彩を眺め、色と親しむ。しかし、日本伝統色の慣用名に「きさらぎ色」というは実在していない。想像での「きさらぎ色」は、薄萌黄色、裏葉色に近い色なのではと思ってみるが、読者が抱く、「きさらぎ」というイメージに委ねられている。

まだ寒さの中にありながら春の兆しが徐々に感じられる二月。「如月」の由来は、着重ねをする<着更着(きさらぎ)>、草木が生えはじめる<生更木(きさらぎ)>の説がある。ひらがな表記の「きさらぎ」にポエジーの世界がある。八田木枯に「二ン月」と表記した句があるが、橋閒石独特な「きさらぎ」とともに繊細な雅やかさを奏でる。

句の構成は「陰口」と「きさらぎ色」の取り合わせとなるが、寒さを繰り返しつつ春を待つことへの抒情をいっていると捉える。「陰口」のネガティブなイメージが、一挙に明るく希望に満ちた風景へと変わってくる。「も」は負の要素を含む<何もかも>という一切合財を意味しているのだろう。前向きな心意気が「も」により打たれそして響く。 <詩も川も臍も胡瓜も曲がりけり 閒石>と「も」の並列がオシャレだ。

橋閒石には「きさらぎ」を詠み込んだ句がいくつかある。

きさらぎの手の鳴る方や落椿  『和栲』
ほのぼのと泣くきさらぎの芝居かな 『微光』

さらに、「きさらぎ」の表記、そして音から、そら耳アワー調に分解すると、しらさぎ(白鷲)、 いそしぎ(磯鴫)などの鳥の名前にたどりつく。「きさらぎ」とかくだけで不思議な煌めきが生まれるのである。




<『和栲』昭和58年『橋閒石全句集』沖積社所収>

2015年2月16日月曜日

黄金をたたく12 [三橋敏雄]  / 北川美美


かもめ来よ天金の書をひらくたび  三橋敏雄

輝かしくそして勇気づけられる一行の詩。七十年を経てもまったく古びない言葉の贈り物。

原句は昭和十二年四月「句と評論」に入選の〈冬ぬくき書の天金よりかもめ〉が初出。このとき敏雄十六歳。その後掲句の姿に改作の後、昭和十六年刊の合同句集『現代名俳句集・第二巻』「太古」に収録。このとき敏雄二十一歳、太平洋戦争が開戦された年である。その情勢下にありながら当時の西洋へ憧憬が〈かもめ〉〈天金〉に現れ、七十年以上を経た現在でも古びない。未知の世界に胸をときめかせる心地よさがある。

それまでの「俳句」という外的イメージ、例えば、畳の上で和服で渋茶をすすっているような光景。それが新興俳句によって、革張りソファーにウィスキーグラスを片手に男たちが語りあうようなイメージに飛躍したのだから相当なマイナーチェンジを果たしたともいえよう。朝ドラ「マッサン」の解説じみたことになるが、昭和十五(1940)年の国産スコッチウィスキーの国内最大の消費先は日本海軍という記録がある。(三橋敏雄は召集後、横須賀海兵団に所属。)


日本での天金の装丁本は明治・大正期にみられ、「内容は精神、装丁は肉体」といわれるほど、すばらし造本が展開された。夏目漱石の『吾輩ハ猫デアル』橋口五葉装丁、萩原朔太郎『月に吠える』画・田中恭吉、装丁・恩地孝四郎など美術品装丁といわれる。実際に敏雄は朔太郎の著作に親しんでいることが年譜から伺える。

この句の<天金の書>…自分ならどんな書籍か、というエッセイをいくつか見る。自分の書棚を見ると、高校生時に購入した革張りの小さな英和辞書、三省堂GEMが天金いや三方金だ。雀のような小さな辞書。自分にとっては、持っているだけで安心、実際に持ち歩いていたのは言葉によるコミュニケーションに興味が湧いた頃だったように思う。<かもめ来よ天金の書をひらくたび>の気分だったのだ。

<『太古』『青の中』所収>