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2014年12月31日水曜日

身体をよむ 5 [桂信子] 今泉礼奈


香水の香の内側に安眠す 桂信子

香水の香りに包まれながら、眠りにつく。円を描いているかのような、やわらかさがある句だ。

しかし、「香水」というものは、外出時に使うものではないか。自分のため、というより、他人のため、に使うものだと思う。それを自分の、しかも眠りにつくために用いている。なんと贅沢な。
「安眠」という言葉は、やたら説明的な感じがする。むしろ、ここで「安眠」を強調するということは、普段安眠できていないのか。

すこし心配になりつつも、このちょっとした危うさが、「香水」らしい。

(『晩春』1967年所収)


2014年12月25日木曜日

身体をよむ 4 [桂信子] 今泉礼奈


生きもののすれ違ふ眼や冬霞  桂信子

ライオンなど、激しい動物が互いに睨み合ってすれ違う、戦いの前を思った。しかし、私たちも「生きもの」のひとつである。すれ違うときに、いつも、睨み合っているわけではない。(というか、睨むことなんてめったにない。)すれ違う相手をチラっと見たり、見なかったり。その程度である。そして、また、他の生きものもそうであろう。水族館に行くと、魚なんてみんなそんな感じである。

他の生きものを見て、自分を思った。
今、私の眼はどんな眼をしているのだろう。

冬霞がすこしあたたかく、やわらかく、生きものの世界を包む。

(『新緑』1974年所収)

2014年12月13日土曜日

身体をよむ 3 [桂信子] 今泉礼奈


壁うつす鏡に風邪の身を入れる 桂信子

姿見ほどの大きい鏡を思った。そこには壁が、それはもう置いたときからずっと映りこんでいる。そして、その鏡の前に立つと、風邪のため弱っている自分がいた。自分じゃないような、でも自分だという、すこし寂しい気分になる。

「身を入れる」という能動的な動きとはうらはらに、その後の気分はせつない。

たぶん、人生そんなことが多いのだろう。これぐらいは受け入れなければならないのだ、と思うしかないのだ。

(『女身』1955年所収)

2014年12月8日月曜日

身体をよむ 2 [桂信子] 今泉礼奈


月の中透きとほる身をもたずして   桂信子

月の光に透きとおりたいのだろうか。それとも、そんな身を月に申し訳なく思っているのだろうか。月の美しさの前に、どうすることもできない自分を詠んでいる。

桂信子の句には、やはり、夫を亡くした悲しみが底に流れているようなものが多く並ぶ。
この句に漂う悲しみも、月の光では抱えきれないのではないかと、心配だ。

「月の中」と、月に照らされる世界全体をはじめに提示し、そのレンズをぐっと自分の身体へと引きよせる。儚い広がりのある句だ。

(『女身』1955年所収)

2014年12月2日火曜日

身体をよむ1 [桂信子] 今泉礼奈


ひとごゑのなかのひと日の風邪ごこち   桂信子

リフレインの気持ちよさに反して、何ともすっきりしない風邪のときの気分を詠んだ句。

夜、今日の一日をふり返る。電車に乗ったこと、授業を受けたこと、友だちと話したこと。その内容に意識が奪われがちだが、確かに。一日は人の声で溢れている。何気ない一日をメタ的に捉えている。
しかし、ここでは、その把握は、ちょっとした風邪によるものだという。内容まで思い出す気分ではない。音だけを思い出しているのだ、と。

と、ここまで書いてみて思ったが、これだと重症のようだ。「風邪ごこち」なのだから、そこまでではない、鼻づまり程度だろう。
そんなときでもやはり、人の声は嫌なものではない。

(『月光抄』1949年所収)




2014年12月1日月曜日

執筆者紹介



 下記メンバーにて詩歌を鑑賞します。

竹岡一郎(たけおか・いちろう)
昭和38年8月生れ。平成4年、俳句結社「鷹」入会。平成5年、鷹エッセイ賞。平成7年、鷹新人賞。同年、鷹同人。平成19年、鷹俳句賞。平成26年、鷹月光集同人。現代俳句評論賞受賞。著書句集「蜂の巣マシンガン」(平成23年9月、ふらんす堂)。句集「ふるさとのはつこひ」(平成27年4月、ふらんす堂)

青山茂根(あおやま・もね)
広告関係の集まりである「宗形句会」から俳句にはまる。「銀化」「豈」所属。俳号のようだが、前の戸籍名。安伸さんには遠く及ばないが、文楽・歌舞伎好き。薙刀を始めるかどうか迷い中。

今泉礼奈(いまいずみ・れな)
平成6年生まれ。「東大学生俳句会」幹事。第6回石田波郷新人賞奨励賞。現在、お茶の水女子大学3年。

佐藤りえ(さとう・りえ)
1973年生まれ。「恒信風」同人を開店休業中。


黒岩 徳将(くろいわ・とくまさ)
1990年神戸市生まれ。第10回俳句甲子園出場。俳句集団「いつき組」所属。2011年、若手中心の句会「関西俳句会ふらここ」創立、2014年卒業。第5回第6回石田波郷新人賞奨励賞。


仮屋賢一(かりや・けんいち)
1992年生まれ、京都大学工学部。関西俳句会「ふらここ」代表。作曲も嗜む。


北川美美(きたがわ・びび)
1963年生まれ。「面」「豈」所属。某バンドのファンサイトにてbibiを名乗る。その後、北海道で駅名「美々」を発見。初句会にて山本紫黄より表記「美美」がいいと言われ、以降、美美を俳号とする。アイヌ語では美は川の意味があり、インドでは、「bibi」はお姉さん・おばさんの愛誦らしい。当ブログ「俳句新空間」運営。


●依光陽子(よりみつ・ようこ)
1964年生まれ。「クンツァイト」「ku+」「屋根」所属。1998年角川俳句賞受賞。共著『俳コレ』『現代俳句最前線』等。


大塚凱(おおつか・がい)
平成7年、千葉県生まれ。現在は都内在住。俳句同人誌「群青」副編集長。第3回石田波郷新人賞準賞。さぼてんの咲かない部屋で一人暮らしをしている大学生。


●宮﨑莉々香(みやざき・りりか)
1996年高知県生まれ。「円錐」「群青」「蝶」同人。



●柳本々々(やぎもと・もともと)

1982年生まれ。東京都在住。おかじょうき・旬・触光・かばん所属。ブログ『あとがき全集』『川柳スープレックス』。「あとがきの冒険」『週刊俳句』、「短詩時評」『俳句新空間』。上田信治『リボン』に栞文、岩田多佳子『ステンレスの木』・野間幸恵『WATER WAX』・竹井紫乙『白百合亭日常』にあとがき、木本朱夏監修『猫川柳アンソロジー ことばの国の猫たち』にエッセイ、中家菜津子『うずく、まる』に挿絵を寄稿。2015年毎日歌壇賞受賞。2016年毎日歌壇賞受賞。2017年東京俳壇賞受賞。
安福望との共著『きょうごめんいけないんだ』
毎日連載中 今日のもともと予報 ことばの風吹く 365日川柳日記(+挿絵:安福望)、春陽堂書店公式リニューアルサイト、2018年5月22日から








執筆者紹介



 下記メンバーにて詩歌を鑑賞します。

竹岡一郎(たけおか・いちろう)
昭和38年8月生れ。平成4年、俳句結社「鷹」入会。平成5年、鷹エッセイ賞。平成7年、鷹新人賞。同年、鷹同人。平成19年、鷹俳句賞。平成26年、鷹月光集同人。現代俳句評論賞受賞。著書句集「蜂の巣マシンガン」(平成23年9月、ふらんす堂)。句集「ふるさとのはつこひ」(平成27年4月、ふらんす堂)

青山茂根(あおやま・もね)
広告関係の集まりである「宗形句会」から俳句にはまる。「銀化」「豈」所属。俳号のようだが、前の戸籍名。安伸さんには遠く及ばないが、文楽・歌舞伎好き。薙刀を始めるかどうか迷い中。

今泉礼奈(いまいずみ・れな)
平成6年生まれ。「東大学生俳句会」幹事。第6回石田波郷新人賞奨励賞。現在、お茶の水女子大学3年。

佐藤りえ(さとう・りえ)
1973年生まれ。「恒信風」同人を開店休業中。


黒岩 徳将(くろいわ・とくまさ)
1990年神戸市生まれ。第10回俳句甲子園出場。俳句集団「いつき組」所属。2011年、若手中心の句会「関西俳句会ふらここ」創立、2014年卒業。第5回第6回石田波郷新人賞奨励賞。


仮屋賢一(かりや・けんいち)
1992年生まれ、京都大学工学部。関西俳句会「ふらここ」代表。作曲も嗜む。


北川美美(きたがわ・びび)
1963年生まれ。「面」「豈」所属。某バンドのファンサイトにてbibiを名乗る。その後、北海道で駅名「美々」を発見。初句会にて山本紫黄より表記「美美」がいいと言われ、以降、美美を俳号とする。アイヌ語では美は川の意味があり、インドでは、「bibi」はお姉さん・おばさんの愛誦らしい。当ブログ「俳句新空間」運営。


●依光陽子(よりみつ・ようこ)
1964年生まれ。「クンツァイト」「ku+」「屋根」所属。1998年角川俳句賞受賞。共著『俳コレ』『現代俳句最前線』等。


大塚凱(おおつか・がい)
平成7年、千葉県生まれ。現在は都内在住。俳句同人誌「群青」副編集長。第3回石田波郷新人賞準賞。さぼてんの咲かない部屋で一人暮らしをしている大学生。


●宮﨑莉々香(みやざき・りりか)
1996年高知県生まれ。「円錐」「群青」「蝶」同人。



●柳本々々(やぎもと・もともと)

1982年生まれ。東京都在住。おかじょうき・旬・触光・かばん所属。ブログ『あとがき全集』『川柳スープレックス』。「あとがきの冒険」『週刊俳句』、「短詩時評」『俳句新空間』を連載中。岩田多佳子『ステンレスの木』・野間幸恵『WATER WAX』・竹井紫乙『白百合亭日常』にあとがき、木本朱夏監修『猫川柳アンソロジー ことばの国の猫たち』にエッセイ、中家菜津子『うずく、まる』に挿絵を寄稿。2015年毎日歌壇賞受賞

●渡邊美保(わたなべ・みほ)

1948年生まれ。2003年「火星」入会(退会)2012年とんぼり句会参加。第29回俳壇賞受賞








2014年11月26日水曜日

鴇田智哉句集『凧と円柱』を読む 5 /今泉礼奈


菜の花と合はさるやうに擦れちがふ   鴇田智哉


菜の花の黄色が、パッと目に入ってくる。その黄色を見ながらその方へと歩いていたら、もしかしたら合わさってしまうのではないか、と一瞬思った。次元を越えた不思議な感覚に陥る。しかし、実際には擦れちがっただけであった。

「やうに」の前に思い描いていた菜の花と自分との夢のようなイメージが、「やうに」後では、あっさりと否定され、現実味あるフレーズへと転換されている。菜の花と自分だけではじまった景だったが、やはり、終わりも、菜の花と自分だけだった。

平易な言葉だけで書かれているからだろうか。すこしせつない。


<鴇田智哉句集『凧と円柱』(ふらんす堂2014年) 所収>

2014年11月20日木曜日

鴇田智哉句集『凧と円柱』より 4 /今泉礼奈


近い日傘と遠い日傘とちかちかす   鴇田智哉


近い日傘、と、遠い日傘というものは、なんともはっきりとしない言い方だ。しかし、この曖昧さに景はどんどん膨らんでいく。わたしは、「近い日傘」とは、直前を歩いている人の日傘、「遠い日傘」とはさらに距離を置いて前を歩いている人のものだと思った。日傘といわれれば、大抵の人は、フリルのついた白のものを想像だろう。その同じようなものと思われる日傘を、距離で分類したとき、確かに、近い日傘には細かな装飾を確認することができ、遠い日傘はそれの全体の形を確認することができる。そして、その二つの情報を重ねたとき、はじめて、日傘というものがぽっと浮き上がってくるのだ。字余りも、景の曖昧さを助長する。

そして、これらを「ちかちか」するという。「ちかちか」とは、ネガティブなイメージをもつ言葉だが、ここではあまり嫌な感じがしない。むしろ、嫌なことを楽しんでいるようだ。平易な言い方が、句全体の雰囲気を愉快なものにする。

気持ちのいい一句だ。

<鴇田智哉句集『凧と円柱』(ふらんす堂2014年) 所収>

2014年11月14日金曜日

鴇田智哉句集『凧と円柱』を読む 3 /今泉礼奈


囀の奥へと腕を引つぱらる  鴇田智哉


すこし不思議な句。(おそらく人間だが)何に腕を引っぱられたか、主語がなく、この句の構成だと、囀に引っぱられたかのようだ。おそらく、何者かによって腕を引っぱられ、そのとき、視覚でその先を確認するよりも前に、聴覚が囀を感じとったのだろう。触覚→聴覚(→視覚)と、一瞬をいくつかの感覚に分けてから、詠んでいる。

囀の奥、も分かりにくいが、奥、は自分にとっての奥である。つまり、これは自分と囀の距離感を、自分本位にいっているのだ。

身体感覚の優れた一句。春の光が、まぶしくこの句の景を包む。

<鴇田智哉句集『凧と円柱』(ふらんす堂2014年) 所収>

2014年11月8日土曜日

鴇田智哉句集『凧と円柱』を読む 2 / 今泉礼奈



歯にあたる歯があり蓮は枯れにけり     鴇田智哉

自分の身体の中で起きていることと、目の前で起きていることを取り合わせている。まず、「歯にあたる歯があり」だが、これは一見、視覚情報によるものだと思わせる書き方をしている。しかし、実際は触覚(と言えるかどうか微妙だが)情報なのだ。自分の口の中を思ったとき、実際に、歯が他の歯にぶつかっていた。カチカチ。それは、まるで、自分のものではないかのような感覚に陥る。それゆえ、このような無機質なフレーズとなっているのだ。

そして、枯蓮。すこし前まで生きていたものとは思えない、無残さをもつ。

この二つは、それ単体では、生と死をつよく感じさせるものではないが、取り合わされたとき、そこに、生と死を感じる。歯は、確かに人間という生物の一部であり、枯蓮は、生物から突き放された部分である。この、単なる対比関係ではない、自分の身体を通して感じさせる、生と死、は私たちをしばらく立ち止まらせる。

<鴇田智哉句集『凧と円柱』(ふらんす堂2014年) 所収>



2014年11月3日月曜日

鴇田智哉句集『凧と円柱』より 1 / 今泉礼奈



すりぬける蜥蜴の縞の流れかな  鴇田智哉



止まる、うごく、止まるを絶妙な時間感覚をもって繰り返すのが、蜥蜴である。ここでは、その中の、うごく、が急にはじまっている。そのとき作者は、驚きとともに、蜥蜴の縞模様に流れを感じたのだ。
蜥蜴の独特な色と模様が、読者の頭の中にしばらく残る。上五のすりぬける、も秀逸。蜥蜴は、決して何かを避けてうごいた訳ではないが、その動きは確かに、人間のすりぬける動作と重なるものがある。

感覚的な句かと思いきや、描写の効いた一句。ひやっとする感じが、まさに夏だ。


<鴇田智哉句集『凧と円柱』(ふらんす堂2014年) 所収>