2015年3月31日火曜日

貯金箱を割る日 23[佐藤和香] / 仮屋賢一



梅雨ごもり自画像の眼を描き直す  佐藤和香

 自分の顔は他人の顔ではない。他人の顔という厖大な数の概念の中に埋もれることが出来ず、唯一無二の存在であることしか許されない、自分の顔。ときおり脳裡を過るその解けない呪縛は、ぞっとするような世界へ人を誘う。

 自分で描いた自分の顔。なんだか違う、どこか気に食わない。だから、描き直す。この自画像は、デッサン。より良く仕上げるためなのだけれども、この句、どこか怖い。全体がモノクロームの色彩に仕立てられた掲句、その淡々とした語りに一層、怖さが引き立つ。

 描き直して見栄えは良くなったかもしれないけど、自分の顔からは離れてゆく。だからといって元の眼にしてみたけど、やっぱりこれも違う。描き直すたび黒く塗る眼。見られることに徹する自分の眼を、見るための器官でじっくりと観察する。終わりのないループに迷い込んだ気持ち。外に出たい。抜け出たい。でも、出られない。

 ゴールはたぶん、呪縛の外にある。自分の顔が唯一の存在でなく、数多の他人の顔の一つでしかなくなったとき、このループからも抜け出せる。でも、このウロボロスは、呑み込むことをやめることはできない。梅雨は、いつか明ける。違いといえば、これくらい。


《出典:『第十五回俳句甲子園公式作品集 創刊号』(NPO法人俳句甲子園実行委員会,2012)》

2015年3月30日月曜日

今日のクロイワ 20 [本井英]  / 黒岩徳将 



雪片の白とは違ふ黒ではなく   本井英

指先、もしくは掌に落ちてくる雪をまじまじと見ている。

難しい言葉は使っていないのだが、「異なる」ということを表すのに2種類の言葉を使っていること、どうしても「ではなく」と書きたかったのだろうと思わせる。

俳句的表現において、例えば比喩を表す語彙は「ごとく」「ように」だけでなく、「めく」「ふさわしき」「似て」などもある、ということを先輩俳人に教えてもらったことがある。

それと近いもので、「異なる」も様々な言い方があり、二つの表現を一句の中に持ち込むことで、この雪が白70%黒30%なのか、ハーフアンドハーフなのかということを考えるのがとても楽しい

(「夏潮」2015 3月号より)

2015年3月26日木曜日

 目はまるで手のように言葉に触れる 5[日野草城]/ 依光陽子


置かれたるところを去らぬ子猫かな  日野草城

猫好きの俳人は多い。猫の句だけで句集を編む人もいる。そういえばここ数年わが生活圏ではまったく野良猫を見かけなくなった。かつては捨て猫や捨て犬など頻繁に見かけたものだが、今や私にとっての猫は記憶を引き出してくれるキーワードだ。裏の家のクールな飼い猫の貌や、父親に捨てるよう言われながら半日抱いていた子猫の骨だらけの躰の記憶。

掲句は捨て猫だろうか。袋か籠の中にタオルなど暖をとれるものを敷き、心ある人に拾われますように、と目につく場所に置かれている。子猫は、いつもとは違う、忍び寄る変化を敏感に感じ取りながらもじっとしている。

掲句の前にはこんな句が見える。<猫の恋老松町も更けにけり><しげしげと子猫にながめられにける><猫去つて猫の子二つ残りけり>。連作として読むと、この子猫は親猫に一時的に放置されたもののようだ。親猫はさっさと自分の恋路に出かけてしまった。言いつけを守ってか、外界を怖れてか、その場を離れない二匹の子猫。偶然頭上に現れた草城の顔をしげしげと眺める。「しげしげ」とは草城が子猫に見透かされている風で、また品定めされている風で可笑しい。

しばしの後その場を立ち去る。歩きながら、もしかしたら親猫は戻って来ず、自分が見捨てたことで奴等は餓死するかもしれない。しかし一人で生き延びなければならないのは、人も猫も同じだ。そんな風にどこかで自分自身を納得させながら歩を進める背中に、まだ確かに子猫への情を引き摺っている。それがこの句から伝わってきて、私はそんな草城のこの一句から去りがたくいる。

さて、草城は大正10年4月<遠野火や寂しき友と手をつなぐ><春雨や頬と相圧す腕枕><ストーヴを背に読む戯曲もう十時>を含む8句でホトトギス巻頭を取っている。当時草城20歳だ。これらの若く清新な句に比べると掲句を含む第2句集『青芝』(昭和2年から昭和4年までの句)は彼の繊細な感受性は垣間見えるものの、少々穏当すぎる。早々と表向きの花鳥諷詠パターンを手中にした草城の倦怠期か。この頃、草城はホトトギス同人に推挙されているが、すぐに4Sの時代が到来し、やがて結社内での地位は目に見えて落ちてゆく。さらに6年後新興俳句運動を推進しホトトギスを除名されることを鑑みるに、『青芝』はこの全盛と凋落の両極に挟まれた凪の時代の句集とでも言えようか。

「然し、いづれもその時々の僕の心境に敵へるものであつて、このたびはこれで満足してゐる僕である」
(句集『青芝』跋より)

掲句に戻る。「置かれたるところを去らぬ」はその時の草城の置かれていた状況と重なる。留まるべきか去るべきか。なぜ去らぬのだ。草城が眼下の子猫に「可愛らしい」「憐れ」といった一般的な感情以上のものを抱いたと鑑賞しても、決して深読みではないだろう。

みちわたる潮のしづかな朧かな
まぼろしの大きな船や実朝忌
屋根替のこまかき雨にきづきけり
孜々として地球に鍬を加へゐる
種蒔やおもひにゑがく花美(くは)し
木蓮のはつきり白し雨曇
かの窓に星を祭る灯いつかあり
  一つゐて中有にあそぶ蛍かな
蟷螂にひびける鐘は東大寺
寒稽古青き畳に擲たる
火を埋めて赤々と脱ぎほそりける
道を問ふ人探梅の志
柊を挿すあしもとの灯影かな

(『青芝』昭和7年刊。『現代俳句大系 第一巻』所収)

2015年3月24日火曜日

今日の小川軽舟 35 / 竹岡一郎


狐面狐を恋へる霞かな        『手帖』
平成十八年作。狐面自体が恋うと読んでも面白いが、実景として強いのは、狐面をかぶった者が狐を恋うという図であろう。狐面を被るものは狐になりたくて被るのである。狐を恋う余り、狐に連れて行ってほしいのだ。これは例えば、安倍晴明の少年期か。「恋しくば尋ね来て見よ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」である。下五、「霞」も「かな」でおぼろげに流す終わり方も、狐とも人ともつかぬ母の漠然とした姿を象徴している。これを母恋の句と読めば、同じ作者の「いまも少年カンナに母を待つわれは」(「呼鈴」所収、平成二十三年作)のような、明瞭な母恋の句よりも、私などには胸に迫るのだ。

尚、作者には「狐面とりて狐目みやこぐさ」(「呼鈴」所収、平成二十一年作)もある。「狐目」で狐の血の混ざった者を思えば、「みやこぐさ」は朝廷に取り立てられ、都に住んだ安倍晴明の運命をも連想させる。


2015年3月20日金曜日

 目はまるで手のように言葉に触れる 4[阿波野青畝]/ 依光陽子



なつかしの濁世の雨や涅槃像 阿波野青畝

雨が降っている。上空から落ちて来た雨は地を打つ。草木を打つ。頭を打つ。雨の音は耳から入り身体中を巡る。世界は今、涅槃の日の雨のあかるさの中にある。

陰暦2月15日、釈迦は入寂した。その姿が涅槃像である。一切の迷いから抜け出た悟りの面持、ゆったりと横たえられた身体。綺羅とした雨が万遍なく降り注ぎ、眼前の、或いはまなうらの涅槃像を覆う。気が付くと己が釈迦となって雨の音を聴きながら「なつかしの濁世」に思いを馳せているのだった。

我々が生きている時代。日常の些細な喜びの外へ目を向ければ、過去から学ぶことなく争いが起り、悪は絶えず、人間が愚かで哀れな存在であることを思い知らされる。喜び、怒り、哀しみ、楽しみは、それぞれがそれぞれを消しながら流転し続ける。やがて必ず訪れる死から目を逸らし、想像力を働かせることもなく、目の前に突き付けられた強烈な現実もすぐに忘れて繰り返す歴史。新たな負の遺産。

混迷のスパイラルから脱した釈迦は、そして青畝は、こんな濁世でもなつかしく思うだろうか。

「あちらでおうす一服いかがですか」と住持が私を別の居間へよんだ。苔の庭が雨に
一層さえて眺められた。濁世とすぐいうけれど、かようなおちついた気分で一切を忘れるのも、生きている娑婆、浮世がなつかしいからだ。なに末世であるもんか。思いようでこの浮世はありがたくなるような気がする。音楽を聞くような雨のひびきがする。  
(『自選自解 阿波野青畝句集』昭和43年より)

掲句は大正15年、青畝27歳の句。

難聴で養子という辛抱の日日、境涯の虚無感を若くして抱いた青畝が、寺という世間とはかけ離れた静謐な場に身を置きながらも彼岸に心を寄せるのではなく、市井を恋い、浮世がありがたくなるようだと言う。青畝の句の「華美な明るさよりも何か神秘のささやくような陰翳のふかいところを選んで詠もうとする(同上)」傾向は、ものの根源に通じていく目線であり、表面を一枚剥がせば確かに認められる。しかし青畝の句は閉じない。「ありがたくなる」と言い切るある種の達観と庶民的な喜怒哀楽の融和。緻密に整えられた調べの後ろにある俳句への強い意思で、小宇宙から大宇宙まで自由闊達な世界を展開させていくのである。



一つ扨て生れてさみし蘭の蠅

さみだれのあまだればかり浮御堂

星のとぶもの音もなし芋の上

傀儡の頭がくりと一休み

いつとなく金魚の水の上の煤

香煙の四簷しみ出て閻魔かな

隠棲に露いつぱいの藜かな

みちをしへ道草の児といつまでも

葛城の山懐に寝釈迦かな


(『万両』昭和6年刊。『現代俳句大系 第一巻』所収)

2015年3月18日水曜日

今日の小川軽舟 34 / 竹岡一郎


棒のごとき悲しみを持て霜を踏め     『手帖』
虚子の「去年今年貫く棒の如きもの」を踏まえ、さて、虚子の言う「棒の如きもの」を普遍的なものとして捉えるなら何にあたるだろうと考える。時間、と考えるのは容易いが、では時間とは何だろう。世界の後戻りできない動きであり、世界を貫く或る法則なのだろうと思う。「一切は壊法なり。謹んで精進すべし」とは仏陀の臨終の言葉であった。「全てのものは壊れゆく。だから絶えず精進して道を求めなさい」の意である。「棒の如きもの」とは、一つには人間の感情などものともしない世界の激流に似た営みであり、一つにはその世界さえも永久の確たる実体など無いという法則であろう。ならば、「棒の如き悲しみ」とは、世界の一切が人間の感情などかえりみず、且つ一切が壊法であるという現実に対した時の人間の悲しみである。即ち、無常への悲しみであろう。そう読ませるのは、下五に、美しく儚い霜が配せられていること、且つ、その霜を「踏め」と云う作者の思いである。平成十八年作。

2015年3月17日火曜日

貯金箱を割る日 22[福井蒼平] / 仮屋賢一



紫陽花や読経の声の響きたり  福井蒼平

 「紫陽花」と「読経」、か。なるほどな。

 四枚の萼で出来た花びらのようなものがたくさん集まって、一朶の紫陽花。大抵の紫陽花は、その葉や茎などの緑の部分を除けば、単色の世界。にもかかわらず、なんだか奥深い世界観を持っているようで、見惚れてしまう。萼がたくさん集まっているけど、煩いと感じたことは全くと言っていいほどない。かといって、紫陽花の四葩一つ一つの細かな違いに変化やコントラストを見出しているわけでもなく、似たようなもの、同じようなものがたくさん集まっているというくらいの認識でしか普通は見ていない。造形美、という言葉を思いついたけれども、なんだかそれも違う気がする。確かにそういう美も紫陽花にはあるのかもしれないけれども、紫陽花を形容する言葉ではない気がする。一朶の紫陽花の美しさって、どう表現したらしっくりくるんだろう。そう思っていた。

 「読経」……ああ、そうか。その世界観だ。掲句を見てピンときた。日本の音楽の原点は、真言声明・天台声明と言われる。お経に節をつけて唱えるのである。音楽としては単旋律音楽に他ならない。これを大人数で唱えたところで、単なるモノフォニーになるかといえば、そうでもない。スピード、タイミング、高低の幅、音程、一人ひとりにズレがある。大人数でお経を唱えたときのあの独特な響きを思い出してもらえばいいかもしれない。ここに発生しているのは、間違いなく、ヘテロフォニーの響き。

普段耳にする音楽といえば、旋律と伴奏の組み合わせだけで成り立つホモフォニーに、時たま輪唱などのように多くの独立した旋律線によって成り立つポリフォニーの響きが加わったようなもの。西洋音楽の多くがこれである。対して、モノフォニーは極めて原始的であるし、ヘテロフォニーも原始的なもので、エキゾチックな印象を受けるし、西洋音楽だとしても宗教色が色濃く感じられる。現代の日本人にとっては、ヘテロフォニーの音楽はどことなく異質な感じがあるのかもしれない。

「紫陽花」と「読経」がどう僕の中でしっくり来たのか。それは、こういうことだ。「紫陽花の魅力って、もしかしたらヘテロフォニーの魅力にほかならないんじゃないか」と。それも、日本の音楽の根底とも言える、「読経」によるヘテロフォニー。

掲句自体、形の上で気になる部分(「~や~たり」のような部分)があったり、この読経が一人なのかそうでないのか判別しがたかったり(何人もが声を合わせるのは「諷経」という言葉があるらしいが、使いづらいのは確か)、そういう部分も確かにある。だから、この捉え方が作者の意図どおりなのか、あるいは一般的なのか、いつにも増して自信は無いのだけれども、ただ、この句を読んで僕の中でこういう発見があったという喜びを今回の記事では伝え、筆を置こうと思う。

《出典:『第十四回俳句甲子園公式作品集 創刊ゼロ号』(NPO法人俳句甲子園実行委員会,2011)》

2015年3月16日月曜日

目はまるで手のように言葉に触れる 3[五十嵐播水]/ 依光陽子




春宵や字を習ひゐる店のもの 五十嵐播水

「古梅園」と前書きがある。古梅園は天正5年(1577年)創業の墨の老舗だ。

宵の口、町がまだ暗くなる前の薄明の頃、店の前をふらりと通りがかった。春のあたたかな宵だから、きっと戸口を開け放ちていたのだろう。丁稚か奉公人か、商いが終わって、字の手習いをしている姿が見えた。店主の心配りか。あるいは、墨の老舗のものが字が読めぬ書けぬでは話にならない。ましてや美しい字を書けなくては恥ずかしい。と、そんな小言を店主に言われたのかもしれない。文机の上には墨と硯と半紙。正座して背筋をしゃんとして。筆先から真っ直ぐに紙に下ろすんですよ。そうじゃない、そこはしっかり撥ねて。

一心に字を習う姿に、いっとき歩を止めて見入ってしまった。

古梅園は奈良が本店だが、これは京都の古梅園だろう。春宵という季題がそう思わせる。


掲句は播水京都時代の句。京都大学の掲示板の句会案内の貼り紙を見て、「一つ参拾銭の木戸銭を奮発して有名な虚子の顔を見て来てやろう」と冷やかし半分に出席した句会がきっかけで俳句に病みつきになったという。その熱心さを鈴鹿野風呂は『播水句集』の序文の中で「只すべてをやきつくさんとする熱」と書く。落ち着いた詠みぶりの奥にある俳句への情熱は、堅実に自己の俳句道を歩んでゆく原動力となった。


大試験今終りたる比叡かな 
花篝更けたる火屑こぼしけり 
遠泳に耐えたる四肢を眺めけり 
潮焼けの面ひとしき双子かな 
川床のはらはら雨もおもしろし 
足もとに波のきてゐる踊かな 
山川のある日濁りぬ葛の花

(『播水句集』昭和6年刊。『現代俳句大系 第一巻』所収)

2015年3月12日木曜日

今日の小川軽舟 33 / 竹岡一郎




兄妹照らす電球秋まつり      『手帖』

電球は裸電球だろう。秋まつりは、地元のささやかな祭りだろう。兄妹は慎ましい家に育ち、仲が良いだろう。そう読むと、電球の寂しい黄色い光と、静かな穏やかな家と、祭への期待に静かに胸を膨らませている兄妹が浮かんでくる。そのように景を思うのが、一番容易い。そんな思い出の無い者にも容易く浮かぶ景であって、それは恐らく戦後の一億総中流時代のプロトタイプの幸せであり、昭和三十年代、四十年代の高度成長期真っ只中の風景、いわゆる「三丁目の夕日」の風景だ。「幸福な家庭はどれも似たり寄ったりだが、不幸な家庭は千差万別だ」と、トルストイは「アンナ・カレー二ナ」の冒頭に記したが、誰もが、望むなら同じような幸福を享受できた筈なのが、高度成長期だ。そういう景が懐かしいと思ったことなど一度として無くとも、映画のように見て、穏やかな美しさだ、とは思うだろう。それで充分である。平成十七年作。

2015年3月11日水曜日

貯金箱を割る日 21 [阿部開晴] / 仮屋賢一



春の坂余震の中を止まらずに  阿部開晴

 年に一回のイベントは、その歴史を追うだけで当時の社会の様子が浮かび上がってくる、なんてことがあるから面白い。それは決してその当時の全部ではないけれども、真実の一端であることに疑う余地はない。

 毎年夏に行われる、高校生のための俳句の一大イベント、俳句甲子園。2011年、その全国大会には、被災地と呼ばれる地域の高校の生徒も参加していた。彼ら、彼女らの作品には、地震や震災のことを詠んだ句もあった。改めてその時に提出された句を眺めてみると、それらの句は決して多いとは言えない量ではあったけれども、当時の俳句甲子園を特徴づけるには十分な数であった。

 掲句の作者は当時、岩手県立黒沢尻北高等学校からのチームとして出場していた。震災・地震というテーマの中で、「余震」を詠むことを選択した。一つの地震に、本震は一つ。対して余震は長く続く。

 春の坂は、輝かしい光のなか、空へ向かって伸びている。再度起こる余震の中、その坂道を登る主人公。「止まらない」のは馴れたからなんかじゃない、諦めなんてネガティヴなものでもない。そこにあるのは強い意志。


 ここからは幾分勝手なことを述べるが、「一紙半銭も私せず」という精神とともに、剣術家・柳生但馬守宗矩の生涯を、家康・秀忠・家光の徳川三代の時代を背景に描いた作品がある。NHK大河ドラマ、『春の坂道』である。残念ながら本篇はほぼ見られないが、大御所・三善晃氏によるテーマ曲は好きで何度も聴いている(三善氏の2年前の訃報に際しては、どれだけ驚きどれだけ悼んだことか)。この作品中でも一切ブレない三善氏の作曲姿勢も去ることながら、スタート地点から着実に坂道を登り続けていくようなエネルギーが貫徹して存在する。名曲である。


 話が大分逸れてしまったが、この句にもそのようなエネルギーを感じずにはいられない。考えてみれば、地震を引き起こす源は大地に秘められたエネルギー。自然に抗わず、自分を卑下することもなく、等身大の自分のままでいる。だからこそ、大地のエネルギーに勝るとも劣らない人間のエネルギーを、当時の高校生は見出すことができた。そして、俳句という詩を信じ、その想いをそこに託したのである。

《出典:『第十四回俳句甲子園公式作品集 創刊ゼロ号』(NPO法人俳句甲子園実行委員会,2011)》

2015年3月10日火曜日

目はまるで手のように言葉に触れる 2[増田龍雨]/ 依光陽子




石鹸玉格子もぬけず消えにけり   増田龍雨

石鹸玉を吹く。歪みながら玉虫色に縁どられ膨らんだそれは、目鼻を映しながらさらに膨らむ。ほどよい大きさになったとき、息を強めに吹き込みストローを少し揺らして、石鹸玉を空に放つ。風は頬を撫でるくらいのそよぎがいい。樹や庭の雑多なものを映しながら上ってゆく石鹸玉。今も様々なものが映っているのだろうが、もう私には見えない。不意に風が来て石鹸玉は流される。色を失った石鹸玉は遠目にもふるふると震えているのがわかる。そして格子戸の手前で、弾けて消えた。

以上が普通の読み。これでは不十分だ。「も」が解釈からもれている。

むかし、洲崎の土手下に、海の中から足場立てをした五六軒の並び茶屋があつた。
纏尽し、千社札、あばれ熨斗などを染めだした景気暖簾を、高々と汐風になびかせて、蛤なべや鱚の塩焼に、深川風のあだものが、堤を行く人々を呼んでゐた。
(中略)
そして、そこらから、洲崎弁天の初日の松が青々と遠く見通されたものであった。
と云へば勿論、根津の廓が埋立地へ移らぬ前のことである。
そのころ、わたしは、発句をつくるすべをおぼえたのである。
 
(『龍雨句集』跋より)

『龍雨句集』が上梓された昭和五年、龍雨は十二世雪中庵を継いだ。雪中庵は服部嵐雪から脈々と続いてきた旧派。本格的に俳諧の大道を歩む決意であった龍雨は旧派の宗匠となることを避けていたが、師、久保田万太郎らの慫慂によりこれを受け入れた。龍雨の粋は江戸に通じている。

「格子もぬけず」の「も」は「格子すらもぬけられずに」という意味が含まれる。龍雨は石鹸玉に誰かの姿を見、その脆さ、はかなさを重ねた。吉原中米楼の奥帳場に勤めていた昔日を追懐したのか。昼間でも点いている裸電球。客を招く遊女の白い腕の揺らぎ。幽かな声。彼女たちは一生格子の外に出ることを許されず露と消える。

或いはこれは龍雨自身の想であろうか。雪中庵を継ぐという格子を抜けられなかった想い。四年後、龍雨は没した。

この悲しい「も」があることで心に残る一句となった。

ひとり突く羽子ならば澄みつくしけり
鶯やあとなき雪の濡れ木立
大木のおよそ涼しき細枝かな
更衣仏間はもののなつかしき
茎漬や髪結へば雪ふるといふ
河豚の友時をうつさず集ひけり


(『龍雨句集』昭和5年刊。『現代俳句大系 第一巻』所収) 

2015年3月9日月曜日

今日のクロイワ 19 [阿波野青畝]  / 黒岩徳将


六甲を低しとぞ凧あそぶなる    阿波野青畝

凧の揺られる様を単に「あそぶ」と表すだけでなく、六甲山と比較した。六甲は「阪神タイガース応援歌」にも「六甲颪に颯爽と」と歌われるが、語感からもなだらかさ、やさしさがあるように感じられる。

「とぞ」「なる」のゆったり感も相まって、遠近感と人情が読者にしっかりと届いている。



『國原』より

今日の小川軽舟 32 / 竹岡一郎


西瓜喰ふまだ机なき兄妹          『手帖』
「まだ机なき」というから、学校に上がっていないのか、或いは小学低学年で勉強といえるほどの勉強をする必要がないのか。西瓜が出て来るから、夏休みを思うが、この年齢ではまだ毎日が夏休みに似たものかもしれぬ。親はそろそろ机でも買ってやるかと思っている。兄妹仲は良いのだ。ジブリの映画「となりのトトロ」などを思っても良いかもしれぬ。掲句の子供たちは健やかに成長するだろうか。成長するであろうし、やがて各々の机を買ってもらって、素直に学問の喜びを知るだろう。学校を楽しく卒業し、(世間的な意味ではなく、人倫という意味で)立派な人になるだろう。そうあれかしと祈るのが、大人のさがである。平成十三年作。

2015年3月6日金曜日

貯金箱を割る日 20[一万尺] / 仮屋賢一



討入を果して残る紙の雪  一万尺

 小説の最後の一文を読み終えたとき、あちら側の世界に突如取り残されたかのような気分になって、不安というか、虚無感というか、そういった取り留めのない気持ちに襲われることがある。自分が良いと思える作品に出会えた時は大抵そうで、映画であっても、演劇であっても、テレビドラマであっても、音楽であってもそう。そんな気分になるとき、多分、虚と実の間の壁がなくなっている。

 この作品に僕が感じるのも、そういう気持ち。この句、確かに季語は無いと考えていいとは思うけれども、そこに季節はある。というのも、「討入」と「紙の雪」という二語だけで、この句が何かの芝居の舞台上であることは容易に想像がつく。分かる人であれば、これが歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』であるというところまで分かるだろう。師走狂言である。そうして作者の名前を見て、合点がいく。

 季語の力でなく、自分の世界の力で勝負を仕掛けたこの作品。虚と実の曖昧になった、あるような、ないような、そんな境界を、ありのままに詠み上げた作品。静かな感動が押し寄せる。

《出典:角川『俳句』2014年12月号》

2015年3月4日水曜日

目はまるで手のように言葉に触れる 1[水原秋櫻子]/ 依光陽子




葛飾や桃の籬も水田べり   水原秋櫻子

籬は竹や柴などで目を粗く編んだ垣のこと。「桃の籬」とは大胆な言い回しで、籬に区切られた家の敷地内に桃の木があり、桃の花がその籬を突き抜けるかの如く咲き誇っている様をこう省略したのだろう。平らかに水田の広がる景色。その籬も水田べりにあって、桃の花明りが田水に映っている。

葛飾一帯は早稲の産地であった。句集『葛飾』にも<葛飾は早稲の香にある良夜かな>などの句が見られるが、こんな東歌が万葉集に遺っている。

鳰鳥の葛飾早稲を饗すともその愛しきを外に立てめやも(万葉集巻14 作者未詳)

早稲が神事に饗するものであり、籬がかつて俗世間と聖なる空間を仕切る結界の象徴「神籬(ひもろぎ)」と同義であったことを考えるとき、この桃の花の色は祝祭の色と化す。

そんな深読みを宥すほどに、句柄が大きい。整った調べの中に春の駘蕩とした時間が流れている。俳句に抒情の回復を成し得た秋櫻子の、句集『葛飾』の、否、秋櫻子全句業の中でも代表句といえる掲句は、一幅の絵の如く美しいだけではない。むしろ「ますらをぶり」な詠み口に着目してこそ、かつての葛飾の野趣溢れる地貌と共に、句が生き生きと立ち上がってくるのだ。

来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり
沈丁の葉ごもる花も濡れし雨
涼風の星よりぞ吹くビールかな
青春の過ぎにしこころ苺喰ふ
寄生木やしづかに移る火事の雲
むさしのの空真青なる落葉かな
枯木星またたきいでし又一つ
春惜しむおんすがたこそとこしなへ


(『葛飾』昭和5年刊。『現代俳句大系 第一巻』所収)

2015年3月3日火曜日

今日のクロイワ 18  [綾部仁喜]  / 黒岩徳将


更衣駅白波となりにけり    綾部仁喜
扉が開き、車両からホームへ今か今かと待ち構えていた白い服の人々が飛び出した直後だろうか。もしくはぎゅうぎゅうの改札から抜け出し三三五五となる直前だろうか。「綾部仁喜の百句」によると 「『中央線八王子駅隣接の一病院に入院中の作』という自註がある。」とのことだが、改札説でも面白いのでは、と思った。いや、ホーム説の方が景が立体的だろうか。

対象化された映像としての「白波」という言葉の選択は比喩としての力を持つだけでなく、自分がこの「白波」の一部と成り得るのだ、ということも思わせてくれるのがこの句の強さである。どどどど…という音が筆者には聞こえてきた。

2015年3月2日月曜日

今日の小川軽舟 31 / 竹岡一郎



障子開いてこゑとこどもととび出づる   「手帖」
描かれてはいないが、子供は昭和の着物を着ているような気がする。障子が貼り立ての真白さに暖かく感じられるのは、子供の瑞々しさが全体から弾けるからだ。正月のようにも思えるのは、庶民的な慎ましい目出度さに満ちているからだ。慎ましいと言ったが、親としては子供が元気である事ほどの有難さはない。子供は遊びに行くのか、誰かを迎えに出たのか。「こゑとこどもと」と並列したのが巧みである。先ず声が、続いて子供が飛び出すのだ。その巧みさを感じさせないほど明るい躍動感に満ち、しかも懐かしい。その懐かしさは、実際にそんな光景に身を置いたことの無い者にも感じられる。、掲句は、実体験の懐かしさでもあろうが、むしろ古き良き日本に共通する空気の懐かしさなのだ。平成十三年作。