ラベル 白石正人 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 白石正人 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2022年7月25日月曜日

DAZZLEHAIKU64[白石正人] 渡邉美保

空蟬の覗きをりたる淵瀬かな   白石正人


  空蟬は蟬のぬけがら。また、魂が抜けた虚脱状態の身という意味もある。からっぽの蟬の抜け殻には、ちゃんと目の跡が残っている。淵瀬は淀みと流れ。世の無常をたとえる語でもある。

 コンクリートの壁に蟬の抜け殻がしがみついている光景はよく見るのだが、今朝の抜け殻は少し様子が違う。真っ黒で不透明な殻なのだ。よく見ると、蟬は殻から出ることが出来ず中で死んでいる。

 羽化せんとして、背中のファスナーが開かなかったのか。その黒い塊は、小さいながら不発弾めいていた。

 幼虫期間の約七年を地中で過ごし、地上に出てはみたが、成虫として地上生活を始めることができなかったこの蟬。正確には空蟬とは言えないのだろうが、どんな淵瀬を覗いていたのだろう。

〈句集『泉番』(2022年/皓星社)所収〉

2018年4月28日土曜日

DAZZLEHAIKU22[白石正人]渡邉美保


ぎしぎしやひとり登れば皆登り   白石正人


本格的な登山というよりは、里山、野原や川辺を散策しているときだろうか。誰かが小高い所へ登り始めると、皆も登る。自由な散策なのだから後に続かなくてもいいのにと思うのだが、ついついつられて登る。 
誰もがしそうな、ありふれた光景だが「ぎしぎし」との取り合わせが、なんともおかしい。「ぎしぎし」の音も効果的だ。
ぎしぎし(羊蹄)は山野や道端、田畑の畔に自生する最も普通な雑草。昔からみられる草であり、現在も減る傾向にはないというから、頼もしい。都市近郊の汚れた河川のほとりや空地でもよく生育する雑草中の雑草。
しっかりと長い根を張り、丈夫な茎を持ち、堂々と生い茂っている「ぎしぎし」と「ひとり登れば皆登り」に見える人間の軽佻浮薄な一面と、どちらも好ましいのである。

〈句集『嘱』(2017年/ふらんす堂)所収〉