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2016年2月29日月曜日

またたくきざはし 10 [関悦史] 竹岡一郎



人類に空爆のある雑煮かな   関悦史

金、暴力、この二つは古来から「この世の君」即ち悪魔の王国を支える双柱であると、若い頃は思っていた。しかし、つまるところは一本である。本来、金が悪いわけではない。それが暴力という色彩を帯びるとき、人間を容赦なく卑しめる。歴史を繙けば明らかではないか。そして、古代から今に至るまでの政治を見ても明らかではないか。

先の大戦以来、この地上に一日たりとて戦争のない日は無かった。空爆が無かった日は多少あったかもしれないが、地上戦が無かったときはない。絶えずどこかで紛争という名の戦争は起こっている。そして、戦争こそは最大の暴力であり、空爆こそは戦争が続いていることが誰の目にも明らかな証である。勿論、天から俯瞰する時、なお一層明らかであろう。

そして、「雑煮」という、誰の目にもめでたい、しかし極めて庶民的な正月の料理を「空爆」に取り合わせることにより、如何なるめでたさも、本来、この地上には存在し得ない事を冷徹に告げているのだ。

(これが仮に、正月の他の料理ではどうか。例えば、伊勢海老や数の子ではどうか。それらは贅沢に過ぎる。雑煮は贅沢ではない。主成分は餅という炭水化物である。雑煮に存する贅沢は、正月の淑気のみである。そのささやかな、雰囲気でしかない贅沢さえも、空爆という地獄の前では、途方もない贅沢に見えるところに、この季語の必然性がある。)

雑煮を食う場所である茶の間のテレビが、空爆のニュースを映し出している必要はない。テレビは吉本新喜劇を映し出していても良い。或いは振袖姿の若い娘たちが嬉々としている初詣を中継していても良い。或いは穏やかな能舞台を映し出していても良い。だが、テレビが何を映し出していようと、たとえテレビが消えていて、正月特有の静かな雰囲気の中に家も町も浸っていようとも、この地平の遙かどこかで空爆は続いている。殊に湾岸戦争以来、空爆はずっと続いている。米国の盟友である日本では、安保協定に守られて雑煮を食えるが、一方で、米国による空爆は中東の無辜の人々を吹き飛ばし、それこそ雑煮の中に散らした具のように肉片や骨を砂漠に撒き散らし続けている。

我々の意識するとしないとに拘らず空爆は続き、そして、我々日本人が一番それを意識したくない時、言い換えれば、無関心でありたい時があるとすれば、例えば正月、淑気に満ちた景の中で穏やかに雑煮を喰い、暖かに腹を満たしている時だろう。

現代の我々は、いつ如何なるめでたさの只中においても、現実には暴力の上に存在し、放射能を日々気付かずに呼吸するかのように暴力を呼吸し、暴力の上に平和を謳歌している。
尤も、それは現代に、或いは日本に限った事ではない。人間が、本来、そういう性質の生き物なのだ。「人の痛みは百年でも我慢できる」という言葉がある。動物は他者の痛みを百年でも我慢しているのだろうか。動物は口を利けないので、わからない。少なくとも、人間はそうである。これは如何に人間の在り方が不良品かということを端的に示している。

ここで掲句が「人間」ではなく、「人類」という語を用いている事には理由がある。鳥類、爬虫類などのように、人類といえば、或る生物の種を指す。つまり、ヒト類ヒト科ということだ。ここで「人類」という語を用いることにより、掲句に人類の側からの視点ではなく、他の生物も含めて人類を公平に見る如き、俯瞰的な視点が暗示される。末尾に「かな」を置くのも、同様の視点ゆえであろう。激すべきところを敢えて、諦観とも取れるような冷静さを漂わせるべく、「かな」で流している。

だから、これは人類という生物には常に暴力が付きまとうという地獄の事実を、正月の普遍的な食事という、最もその事実を突き付けられたくない状況において突きつけているのだ。
(「暴力」と言ってしまえば、概念になる。空爆といえば、これは具体的な、且つ最も一方的な、且つ最も容赦のない、無差別の暴力である。)

さて、この事実を突き付けられて、我々はまだ雑煮を食えるか。食えるのである。食う、とは生物が生き延びるための基本だからだ。極端なことを言えば、頭上で空爆があり、目の前に血泥の雑煮と化した死体が転がっていても、死ぬほど腹が減っていれば食える。それは先の大戦における大空襲の後、焼け跡で何よりも食料が大事であったことを思い起こせば自明である。

我々は地獄の住人なのか。恐らく、そうであろう。我々はそれを認めたくなく、だがそれを先ず認めなければ地獄の住人である事から脱却できないから、だからこそ、この句は存在意義がある。我々人類という種の容赦ない悪を、めでたい食事の只中で突き付けているからだ。もしも将来、人類が高度な道徳観念を本能として持ち、戦争がなくなる日が来れば、その時に漸く、掲句は役目を終えるのであろう。
<「六十億棒の回転する曲がつた棒」2011年邑書林所収>

2016年2月22日月曜日

またたくきざはし 9 [金原まさ子]     竹岡一郎



殻ぎりぎりに肉充満す兜虫    金原まさ子

これは客観写生なのだろうか。写生以外の何物でもないが、なんだか悪夢のようでもある。昔、兜虫の角が折れてしまったのを見たことがあって、なぜ折れたかというと、ミヤマクワガタと戦わせたからだ。角が折れた途端に兜虫はぐんにゃりしてしまって、折れた断面からは白いものが盛り上がっていた。それを見た時に、子供の私はぞっとしたのである。

「充満す」という表現により、「肉」は剛力の兜虫のエネルギーをも暗示しているのだが、それは外骨格である殻のすぐ裏にまで満ちていて、ひとたび骨格が破れるなら、その横溢した力は白い肉として飛び出るかもしれない。この緊迫感は怖い。掲句の怖さは「ぎりぎりに」という、緊張をも表す言葉にある。

では、下五が例えば、蝦や蟹だったらどうかというと、これは全然怖くない。蝦や蟹は食べるものだからだ。甲虫類は食べるものではない、たぶん。

これがコガネムシやカミキリムシやクワガタならどうかというと、兜虫には及ばない。あの力士のような体型で、しかも虫類の中では無敵に近い兜虫だからこそ、その力が殻一枚下では弾けんとして危うく保たれている緊迫感が見えてくる。

<「遊戯の家」金雀枝舎2010年所収>

2016年2月15日月曜日

またたくきざはし 8 [筑紫磐井]     竹岡一郎



美しくありますやうに妻に言ふ   筑紫磐井

二年ほど前に掲句を読み、妙に印象に残っていて、時々考える。最初、恐妻家の句かと思い、あるいは惚気の句かとも思ったが、どうも違う。この妻が美人か否か、それは問題ではない。たぶん、人としての立ち振る舞いとか心情の有り方とかそういうことを言っているのだと思う。これは「妻に言ふ」のだから、妻に対して要求している、とひとまず取れるのだが、本当にそうだろうか。

そう思う理由は、「ありますように」という措辞にある。「なりますように」や「いられますように」なら、これはもう妻限定であるが、目の前にいる当人に向かって、「ありますように」とは、あまりにもおかしい。だから、これは妻に対して、妻以外の何かが美しくありますように、と言っているのである。「やうに」とあるから、冀(こいねが)っている。そうなると、眼前の妻は何かを祈禱する対象である。妻に向かって、何かの、たぶん叶わぬ美しさを祈っているのだ。

上五の前に来るべき名詞が省略されているため、それは読者の頭の数だけ想像できよう。近所とか地域とかが美しくありますように。俳壇とか会社とか人間関係とか世間とかが美しくありますように。政治とか経済とかが美しくありますように。人類が美しくありますように。過去が或いは未来が或いは現在が美しくありますように。もしかしたら、天や神が美しくありますように。

即ち、作者と妻以外の、作者と妻を取り巻く何か、または取り巻く全てが美しくありますように、と希(こいねが)っているのである。

これは途方もなく贅沢な祈りなのか、あるいはこの上なく慎ましい祈りなのか。慎ましく且つ贅沢な祈りなのであろう。

私は一寸、ミレーの「晩鐘」を思い出したりもするのだ。あれは何を祈っているのか、子供の頃から疑問だったが、最近、世界の美しさを祈っているのだと思うようになった。

橋本無道の「無禮なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ」を思い出したりもする。あれは妻を罵っているようで、実はそうではない。毎日、ごはん作ってくれて有難う、とはとても照れくさくて言えぬが、何か言ってやりたいので口に出すと、あんな風になる。掲句も、祈る対象で居てくれる妻を有難く思っていることは言うまでもない。

<「我が時代」実業広報社2014年所収>

2016年2月8日月曜日

またたくきざはし 7 [大井恒行]    竹岡一郎




水の村魚とりつくし魚佇つ冬     大井恒行

「水の村」とあるから、水郷なのだと思う。海辺の村ではあるまい。「水」と「とりつくし」の語から、「水涸る」という季語も連想される。水源地の積雪や氷結のために川沼の水量が減る現象である。季は冬であるから、水の村は当然、水量も減っているだろう。厳しい寒さも連想される。ここにおいて、末尾の季が春や夏や秋ではなくどうしても冬でなければならない必然性が生じる。背後に「水涸る」状況を立ち上がらせるためである。

掲句では、涸れるのは水でなく魚であるから、ここで魚と水は等価ではないかという錯覚が起きる。魚をとるのは人間であろうが、中七の結果として下五の「魚佇つ」が置かれているから、魚を捕っていたのは実は人間ではなく、魚だったのかという錯覚もまた起きる。

水の村に住みながら同胞をとりつくした挙句、冬の厳しい枯渇の中に茫然と立っている魚は、やはり人間の暗喩であろうか。いや、人間であると否とを問わず、魂の暗喩だろうか。とりつくした理由を「魚なる魂」の愚かさに求めるよりは、むしろやむを得ぬ運命の結果と捉えた方が、句の寂しさは増すように思う。

<「風の銀漢」拾遺。「大井恒行句集」ふらんす堂1999年所収>

2016年1月22日金曜日

またたくきざはし6 [宇多喜代子]      竹岡一郎




寒月下みな颯爽と死にたるよ  宇多喜代子


病死もあろうし、事故死もあろう。勿論、老衰もありであるが、七十年前の戦死もあろう。実際の死にざまは颯爽としていなかったかもしれぬが、この世に有る者としては、そう信じたい。それは生きている自分の為ではない。死者にせめてもの花を添えたいためだ。

「死ににけり」という言い切りではなく、「死にたるよ」と柔らかな慨嘆になっている処、そして「寒月光」ではなく「寒月下」と己の立ち位置を月よりも下に置いている処が眼目で、これにより、死者達に対し、自らを謙遜しているのだ。

颯爽と死ぬ為には、生きている間、生の意味について、死の意味について、深く考え、懊悩していなければならぬ。それを口に出すか出さないかは問題ではない。死はたった一人で対するものだ。どれほどの権勢があろうと、どれほどの取り巻きを持とうと、死に際しては人間は常に一人だ。その点で、死とはこれ以上なく平等なものなのだが、それゆえにこれほど魂の資質が表面に現われる状況もあるまい。

如何にして死に対するか、人は只それだけの為に生きているのかもしれぬ。高潔な者には高潔な死が訪れるだろうし、貪る者には惨めな死が訪れるだろう。傍に看取る者達にどう映ろうとも、死にゆく者が感じる己が死は、その者がどのような生を送って来たかが如実に反映される。

ここで「寒月下」が、颯爽とは何か、を考える手掛かりになるかと思う。玲瓏と厳しい光の下に曝されているのは、生きている作者である。寒月は死者達であり、その死にざまである。死者達は幽明境を越え、その声を月光として、作者を叱咤激励しているのだろうか。颯爽と死ねるか、と問うているのだろうか。その問いはそのまま我々読者を照らす問いでもあろう。

<2012年作。「円心」所収。>

2016年1月15日金曜日

またたくきざはし5 [高野ムツオ]       竹岡一郎



霧は息野菊は睫毛鬼眠る   高野ムツオ

霧は鬼の息であり、野菊は鬼の睫毛だというのである。下五まで読んで、息と睫毛の正体が分かる。曠野自体が鬼の、散逸し眠り続ける体なのだ。

野菊はある一定の秩序を以て生えているのだろうか。それともばらばらに生えているのだろうか。ばらばらに生えているのだとすれば、鬼はその瞼に至るまで容赦なく引き裂かれたのだと読める。
記紀以前の巨人であるダイダラボッチを思い出す。あるいは遙か古代の国つ神を。いずれにしても、引き裂かれ隠されたモノである。「鬼」とはまつろわぬゆえに、朝廷に追われた者の謂である事を考えるなら、この鬼は古代東北の魂であり、荒夷の魂であろう。

曠野を「鬼」と観ずるのは、作者が鬼に共感しているというよりは、むしろ自らを、「鬼たる曠野」と密かに認識しているからだろう。

眠る鬼が目覚め、曠野から立ち上がる、いや、曠野自体が立ち上がる事があるなら、それは東北の人々の心として立ち上がるのだ。掲句が大震災の年の秋に作られた事を念頭に置けば、また一層の凄みを以て迫って来よう。

<平成23年作。「萬の翅」所収。>

2015年10月5日月曜日

またたくきざはし4  [大井恒行] / 竹岡一郎




夕べ泪朝歓声のナミアゲハ     大井恒行



一読、「朝に紅顔夕べに白骨」を思わせる。和漢朗詠集によっても蓮如上人の白骨の御文章によっても有名であり、平家物語の冒頭、「祇園精舎の鐘の音」にも通じる。

掲句が平家を連想させるのは、ナミアゲハにもよる。平家の一般的な家門は、並揚羽を図案化した揚羽紋だからだ。

仮に上五中七が「朝紅顔夕べ白骨」なら、面白くもなんともない。もう一ひねりして、傍観する如く人生の虚しさを観ずる心情を詠って、「朝歓声夕べ泪」としても、まあ普通の感慨である。

掲句の眼目は、先ず夕べの感慨を出し、次に朝の高まりを掲げたところにある。諸行無常など判り切っているのである。戦いは破れ、正義は滅び、昂揚は失われ、人は衰える。心静まる夕べには、涙する事もあろう。だが、朝になれば、日の昇るごとく再び歓声を上げる。無常は充分承知の上で、歓声を上げる。つまり、「朝紅顔夕べ白骨」或いは「朝歓声夕べ泪」なら、良く言えば客観、悪く言えば傍観者の感慨であるが、「夕べ泪朝歓声」は、当事者の主観である感慨であり、無常に抗して立たんとする気概である。

平家物語が遂に負ける戦いへ進んでゆく平家一門への鎮魂歌である事を思い、並揚羽が日本のどこにでもいる普通の揚羽ゆえに「並」がついていることを考え、更に作者が団塊の世代であり全共闘世代でもある事を鑑みるなら、あの日本中を席巻した全共闘の戦いは最初から負けるに決まっていたのである。

全国遍くどんなに頭数を揃えようと、普通の学生が、時の権力に勝てる訳がなく、ましてや海の彼方の不敗の軍事大国に勝てる訳がない。それでも自分たちの為し得るあらゆる手段を模索した。そして夕べのたびに自らに疑問を抱き、虚しさを感じて密かに涙した。朝になれば、性懲りもなく、歓声を上げた。それはひとえに若さという生命力のなせる業であった。生命力それ自体が、正義を、自由を盲目的に求めるのだった。

掲句は、先ず上五において沈潜し、次に中七において昂揚し、下五に至って普遍性を、ナミアゲハのごとく普通に遍く存する事を求めるのである。これは全体主義の枷にではなく、個人主義の自尊に期する姿勢である。そして全共闘の敗因も恐らく、その個人尊重の姿勢にあったのであろう。だが、それゆえにその精神はサブカルチャーの核の一つとして、現在広く融け込んでいる。ナミアゲハの如く、日本全国どこにでも各々の個人性の中を、普通にあまねく自由に舞っているのである。

<角川「俳句」2015年7月号「無題抄」より。>

2015年8月20日木曜日

またたくきざはし3  [関悦史] / 竹岡一郎




誰よりの電話か滝の音のみす    関悦史  

電話が鳴ったので、取ったのだが、声がない。もしもしと問いかけても返事がない。ただ滝の音だけが延々と聞こえてくるのである。これが4分33秒続けば、ジョン・ケージの最良の曲となろう。

滝が電話を掛ける訳はないので、向こうには誰かいる筈なのだが、どうも滝自体が電話を掛けてきたような気もする。滝は霊的な場であって、そもそもは誰にでも見える神の具現だ。

夏の滝は香り立つ。正確には、滝の飛沫が神気となって、あたりの緑を香らせるのである。尤も、絶えず流れる水は色々な霊的不浄を引き寄せたりもする。逆に、行者は浄められんとして滝に打たれる。滝行は注意しないと自我が極端に強くなることがある。行者によっては足元に蛇が蟠っているのが見えるという。蛇は行者の自我の具現化である。意識下に潜んでいたエゴが視覚化されるのであろう。

滝とは、神でもあり、山の涼気でもあり、浄められんとする執念でもあり、引き寄せられる不浄を黙って受け入れる場所でもある。、滝は、此の世とあの世、執着と放擲、浄と不浄の見事な渾沌である。そういう渾沌が、途絶えぬ音として作者に語りかける。

滝の音は何を伝えたいのだろうか。多分、渾沌を観つづけよと言いたいのだろう。こういう情景を句にしている作者は、当然、渾沌を見ている筈で、ならば作者に電話を掛けて来た者は、あるいは作者のドッペルゲンガーか。およそ人間が、誰、と問いかけて、最も判然としないのは、実は常に自分自身ではなかろうか。

受話器を握っている作者の周りには、恐らく日常の雑然さが広がっているであろう。だが、滝の音に耳傾ける内に、それらの雑然さは徐々に、滝の音に呑み込まれてしまう。作者にとっては己の全てが耳だけとなり、眼を閉じて聴きいる内に、明るいとも暗いともつかぬ、茫漠としつつ閉じられてもいる空間が広がるのである。それが滝の世界であり、受話器の向こうから、滝を背に電話を掛けている者がもしも自身であるならば、作者は自らの内面に耳傾けている事となる。

「世界Aの報告書」(ふらんす堂通信134号、2012年10月)より。

2015年7月20日月曜日

またたくきざはし2  [大井恒行] / 竹岡一郎



怒髪は焼け衡は焼けて透ける耳のみ   大井恒行

判らぬながら、美しい夕焼けの如き情景が浮かぶのは、「透ける耳のみ」によると思う。「衡」は何と読むのか。音読みで「コウ」と読むのか、訓読みで「はかり」か「くびき」か、秤によって量られることを頚木と思う憂さがあって、二重の意味を持たせる意図で敢えてルビを付けなかったのか。

「衡」には、別の意味もあって、一つには死を司る北斗七星の柄の部分である。もう一つには、はかり、目方から転じて、標準という意味がある。更には、物事の良し悪しや成否を考えるという意味もある。

怒髪天を衝く、という言葉を思うと、これは天を突き上げるような怒りであろう。時の為政者に対する怒りか、この世のあらゆる不正に対する怒りか。その怒りも、その発露である逆立つ髪も焼け、その怒りを呼び覚ます「くびき」または「はかり」も焼ける。標準という概念も焼け、危うい釣り合いを保っていた何かも焼け、今起こさんとし或いは既に起こした物事の善悪も成否も焼ける。焼けるのは、天の炎によって焼けるのか。或いは遂に炎となった怒りが、髪も、怒りそれ自身も焼き尽くすのか。衡には平らという意味もある。だから、何もかも焼け失せて真っ平らになった地平への連想も生じる。

「焼け」を二度繰り返すのは、反復のリズム効果もあろうが、それよりもむしろ焼ける順序を敢えてつけることにより(衡が焼ける結果として怒髪も焼けるのではなく、まず怒髪が焼け次に衡が焼ける)、怒髪という現象に対する考察にも及ぶ。即ち、怒髪自体がそもそも衡の一種ではないのか。
そして怒髪の燃え滾る刃のような鋭さも、秤の厳しさも頚木の鈍重さも持たぬ、透ける耳のみが残る。耳は何もかも焼けた後の静寂を、澄んだ夕焼けの内に聴くのである。作者には、「木霊降るいちずに夕陽枷となり」の句もある。(「秋の詩」所収)ここでは枷の正体が表されており、また耳が聴くのは木霊である。こちらの方が判りやすい句ではあろうが、私は掲句の怒髪の行き行きて帰らぬ様に胸打たれる。正義を欲し、糾弾を求め、公平な秤に憧れ、不正な頚木を憎み、あるいは戒律たる頚木を待ち望み、燃え上がる髪の如く怒りを突き立て、この怒りは我を焼き我が髪を焼き我が身を火柱と化して天を衝くことを欲し、だが一切は焼け、否、焼けつくしてしまえ、真っ平らな地平だけが残れ、夕焼色に似た静寂だけが残れ、その静寂を聴く清澄な耳だけが残れ、それは怒髪突き上げた者の耳ではなく、柔らかな透ける耳、その内に新しき血の巡りて耀う為に、あまた怒れる者が殉じた耳。

<「秋(トキ)の詩(ウタ)」現代俳句文庫49『大井恒行句集』1999年ふらんす堂所収>


2015年7月13日月曜日

またたくきざはし 1 [大井恒行]   / 竹岡一郎



椀に降る牢獄(ひとや)ながらの世は初雪   大井恒行
「世の」ではなく、「世は」であることが眼目であろう。この助詞のずらし方により、この世と初雪の位置が重なり、下五において句が飛躍的に広がる。牢獄のような濁世の儚さを端的に喩えているのであるが、同時に、作者にとっては未だに初雪の如く初々しく見える世をも称えてもいる。

椀とは何だろう。山頭火の「鉄鉢の中へも霰」を思う。「碗」ではなく、木製の「椀」であるから、これはたとえ霰が落ちても大して響かない。ましてや初雪である。初雪に喩えられる此の世は音を吸い、自らも静かなのである。或いはかくあれかしと作者は希うのだろうか。「牢獄」なる語から、囚われの身に出される貧しい食をも思う。椀に降るのは雪でもあるが此の世全体でもあるのだから、これは相当大きい椀であろう。世の果てまで広がる伸縮自在の碗とも考えられる。そう考えた時、そのように喩えられるものはたった一つしかない。人間の心である。だから、この椀は作者自身の象徴であろう。作者が此の世を越えてはみ出したいと思っているように見えてならぬ。何の為にそこまで広がりたいかといえば、それは初雪を受けるが如く、この世を静かに受け止めたいからだ。「秋(トキ)の詩(ウタ)」
<現代俳句文庫49『大井恒行句集』1999年ふらんす堂所収>

2015年7月6日月曜日

今日の小川軽舟 52 / 竹岡一郎



巴里祭翅もつものは翅に倦み      「手帖」   

巴里祭は季語であるが、日本の7月14日に何か特別なことがあるわけではない。フランスの建国記念日であり、バスチーユ監獄の襲撃を記念する日でもある。実際には、バスチーユ監獄には革命家など収容されておらず、普通の犯罪者が7名囚われていただけだった。襲撃の実際の目的は、不当に囚われた革命家の解放ではなく、監獄の武器弾薬庫であったという。この日に、今なおフランスで行われるのは、国内最大の軍事パレードであり、エッフェル塔の花火である。皮肉な言い方をするなら、戦後の日本人が「革命」や「解放」や「自由」という字面から想像するようなものは何一つない。フランスの軍事力が如何に素晴らしいかを国内外に華やかに見せつけるパレードの日である。更に付記するなら、軍事力の頂点である核兵器を、フランスは350個保有している。米露に次いで、世界三位である。

「巴里祭」は日本だけの呼び方だ。日本人の間に「巴里祭」なる言葉が広まったのは、1932年に制作されたルネ・クレールの映画を翌年(昭和8年、満州事変の翌々年)日本で公開する際に、「巴里祭」と邦題を付けたのがヒットしたのがきっかけである。何ということはない、愛らしい初恋の映画であるが、パリの街並や風俗が、戦前の日本人には新鮮で、手の届かない上等舶来の夢だった。
パリは芸術の都というが、ウィーンだってフィレンツェだって芸術の都である。しかし、パリだけは同時に花の都であって、ウィーンのように仄昏くもなく、フィレンツェのように過剰でもない、日本人にはちょうど良いくらいの華やぎが季語として定着した理由の一つであろう。「ふらんすへ行きたしと思へども/ふらんすはあまりに遠し」と萩原朔太郎が『純情小曲集』中の「旅上」で歌ったのは、大正14年(1925年)。戦後でいうなら、「憧れのハワイ航路」みたいなものだ。

「巴里祭」という季語は、戦前の当時、多くの日本人は一生目にすることはなかったであろう、ヨーロッパの華やかな都への憧れを、夏の明るい光に託しているのだ。だから、この季語は実体のない、幻の美しさへの憧れ、そうであればいいなあという夢見る雰囲気であろう。もっと言うなら、戦後七十年経った今、我々が使う場合は、「巴里祭」というモノクロ映画に胸ときめかせパリに憧れた頃の日本人を偲び、その古き良き切なき心情を回顧する意味合いをも含んでいる。
(仮に、フランスの五月革命(1968年5月10日)を季語にするなら、「革命」「自由」「解放」の雰囲気は出るであろうし、世界中の学生運動に衝撃を与えた、このゼネラル・ストライキは団塊の世代が共感しやすいであろう。しかし、未だに「五月革命」という季語はない。)

さて、巴里祭が、戦前の日本人が憧れた「夏の蜃気楼」のようなものである事、そもそも映画の邦題であってフランス人には無意味な呼び名である事、現実の巴里祭の日にフランスで行われるのは専ら軍事パレードである事を踏まえて、掲句を読む時、「翅もつものは翅に倦み」が、如何に皮肉と哀しさを湛えているかは了解できると思う。飛ぶことに倦んでいるのだ。幻に、雰囲気に向かって飛ぶことに。羽ではなく、翅であるから、昆虫の類であって、鳥のように高く飛べる訳はない。

蝶々なら詩的に物凄く頑張って、韃靼海峡を渡れるかどうかであろう。或いは、露を金剛と観ずる眼にあれば、杏咲く頃に、びびと響いて受胎告知を知らせるくらいはできるかも知れぬ。だが、羽ではなく、翅しか持たぬものは、幻に、理想に、雰囲気に、憧れという実体の無いものに向かって飛ぶ事しか出来ぬだろうか。それならば、「倦む」とは、一つの救いの始まりかもしれぬ。現実を凝視する事によってしか、道は始まらぬからだ。平成15年作。

2015年6月29日月曜日

今日の小川軽舟 51 / 竹岡一郎



森出でてなほ林ある鹿の子かな     「手帖」  


森の道をゆくうちに前方の視界が開けて来て、明るくなる推移を詠っている。林には光も風も透る。森という半ば閉ざされた空間が嫌なわけではないが、少し視界が開けてほっとした。だが、木々の香りはまだ名残惜しい。その名残をいたわるように林というまばらな木々が広がっている。そんな心情である。

「なほ」が利いている。「林ありける」だと、森と林は分断されてしまう。「鹿の子」が眼目だ。物に怯えやすく、だが好奇心旺盛な小鹿が頼りなくゆっくりと歩いてゆく。小鹿はやはり森を出て林の中を歩いているのであろう。ここで作者は小鹿と歩みをともにしているというよりは、小鹿の心情に寄り添って景を見ている。

漸く歩けるようになり、世界の何もかもが新鮮に見えている小鹿の、その感覚で、森が林へとよどみなく移行してゆく様、視界が開け、森よりは風や光が大きくなってゆく様を享受する。緑の匂いを感じる濡れた鼻先、敏感に辺りの音を捉えて立つ耳、大きな瞳や細い四肢、小鹿の全身は、その五感で以て、森から林へと移り変わる様を敏感に受け取る。その喜びが作者の歩みと重なるのである。平成14年作。

2015年6月25日木曜日

今日の小川軽舟 50 / 竹岡一郎



曾根崎の水照らす灯や蚊喰鳥

 曾根崎は大阪・梅田の繁華街。近松門左衛門の「曾根崎心中」で有名な「お初天神」がある。お初天神は、正式には露天神社(つゆのてんじんしゃ)といい、上古は大阪湾に浮かぶ小島(曾根崎のあたりはもともと海であり、河口の砂が堆積して陸となった)に「住吉須牟地曾根ノ神」を祀ったのが初め。現在の祭神は、少名彦大神、大己貴大神、天照皇大神、豊受姫大神及び天神様即ち菅原公であって、お初と徳兵衛は祭神でも何でもない。二人は、天神の森で心中したのである。ところが、今では専ら縁結びの神社と化しているところが面白い。同じ近松の「心中天網島」に出てくる小春は、曾根崎新地の遊女である。江戸の頃は、淀川河口の瘦せた土地であった。明治以降、大阪駅が出来たのをきっかけに、繁華街として栄えた。

私にとっては子供の頃から馴染みの地域だが、曾根崎のあたりは不思議なところである。曾根崎警察署の傍からお初天神商店街に入ると、かなり広い道なのだが、なにもかも共存しているのだ。ゲームセンターがあり、薬屋があり、普通の飲食店や商店があり、キャバクラがあり、バーと一杯飲み屋があり、大人のおもちゃ屋があり、ペットショップがある。その果てにお初天神がある。曾根崎の向こうは、新御堂筋を隔ててラブホテル街があり、老松町の骨董街があり、更に裁判所がある。その向こうは堂島川と中之島だ。大阪の中心地は昔から何もかもごちゃごちゃで、職業や店種によって区分されていない。渾沌の中で、店も人も本音をさらけ出して生きている。

「曾根崎の水」とあるが、江戸の頃はいざ知らず、今、あのあたりに池や川があるわけではない。一番近い堂島川からも相当速足で歩いて二十分はかかるだろう。だから、掲句の水は単なる水ではなく、水に象徴される濁世の様々な事象である。

「曾根崎の水」といわれれば、大阪の誰でも思いつくのは、水商売の「水」である。ここで、中国の占術において水を表わす「坎」の象意に照らせば、水とは、低きに流れ、窪みに溜り、地の底を這い、流れを生じ、他の流れと交わりを結び、艱難辛苦の果に、遂には大海と化す。従って、「坎」の象意は、流動であり、浸透であり、溶解であり、更には遊蕩、煩悶、情交、秘密、疑惑、憂愁、暗黒、奸智、隠匿、敗北、放浪、零落などを表わす。人物では、智者、悪人、淫婦、遊女、病人、死者、服喪者など。人体では、陰部、子宮、尿道、血液、汗、涙、精液、眼球、傷痕など。職業では、船舶業、醸造業等、水に関わる全般から始まり、更に酒屋、水商売、風俗業など。動物ならば、豚、馬、狐、モグラ、水鳥、生魚類、螢、水に関係する生物一切、更に面白いことに蝙蝠も「坎」に属する生き物である。

掲句では、蝙蝠と言わず、「蚊喰鳥」を使っている。その方が、江戸時代の上方情緒が匂うからであろう。(蚊は水に生まれ、血液を吸って生きるから、これもまた「坎」に属する。)そして、曾根崎は上古、海であった。即ち、「坎」の終着である。掲句は「坎」の象意の集合を、灯が照らしているのである。

曾根崎のあたりで蝙蝠が飛ぶところといえば、歓楽街の中心でありながら広い境内を持つ「お初天神」以外考えられぬから、掲句は当然、曾根崎心中を意識している。曾根崎心中に語られる遊蕩、遊女、情交、秘密、煩悶、奸智、零落、これらは全て水の象意であり、従って掲句の水を照らす灯とは、今も盛んなる水商売の灯であり、同時にお初天神の献灯でもあり、曾根崎心中という物語を照らす灯でもある。この灯は、水商売の町に掲げられ、奸智と秘密と情交と煩悶が火蛾の如く群れ集う灯であると同時に、神に掲げられ、神を照らす灯でもある。醤油屋(醸造業であり、坎の象意)の手代・徳兵衛と遊女・お初の心中の物語、これは金銭と恋情の絡みが、坎の極み、死へと至り、死を超える恋が数百年を経て、神を照らす灯へと昇華したのである。大阪は水の都といわれる。水の象意に満ちた大阪の、その物語を照らす灯に、作者は大阪の哀しみを照らさんとする。

平成十五年作。

2015年6月22日月曜日

今日の小川軽舟 49 / 竹岡一郎




大工ヨゼフ忌日知られず百合の花


勿論、この大工ヨゼフは、聖母マリアの夫ヨゼフである。このヨゼフの行動は、福音書にはほとんど出て来ない。マリアの受胎の後、夢を見た事(マタイ1・18-25)、身重のマリアを連れて、住民登録の為にベツレヘムへ行った事(ルカ2・4-5)、ヘロデ王を避けて聖母子と共にエジプトへ遁れた事(マタイ2・13-15)、ヘロデ王の死後、イスラエルに戻り、ナザレに住んだ事(マタイ2・19-23)、過越の祭に聖母子をエルサレムに連れて行った事(ルカ2・41-51)。そのくらいであって、忌日どころか、ある時点から忽然と聖書から消えてしまう。

しかし、イエス生誕の前に、ヨゼフは最も重要な働きをしている。この働きなければ、イエスは恐らく世に生まれていない。

『イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。マリヤは男の子を生みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。』
(マタイ1・18-25)

当時の律法では、姦通は石打ちの刑であったという。実質、死刑に等しい。処女懐胎が奇跡である以上、世間はヨゼフの子でなければ姦通の結果と見なすだろう。世間は奇跡を信じないものだ。即ち、もしヨゼフが、面子を潰されたと事を荒立てるような男であれば、マリアは婚約中に不貞を働いたとして石で打たれる。だから、事を公にしようと思わなかっただけでも、ヨゼフは相当に偉い人であるが、更にマリアと婚姻し、イエスを自分の子として育てた。これは天使の夢のお告げが無くとも、ヨゼフはいずれ、そう決断したような気がする。なぜなら、姦通の罪を厳しく糾弾されるような社会にあって、おぼこ娘で気の利いた言訳など何もできないようなマリアが実家に帰され、大きくなってゆくお腹を抱えて、穏やかに暮らせるわけがない。ヨゼフが黙って婚姻する以外、マリアが出産までを平穏に暮せるはずがないのだ。

だから、ヨゼフの形容として記される「正しい人」なる言葉は、誠に重い。如何に自らを空しくして、恋人を護るか。夢に現れた天使は、ヨゼフの良心の具現、義の顕現と重なるのではないか。人の為に律法があるのであって、律法の為に人があるのではない、そう分かってはいても、律法が支配する社会にあって、「律法を超える正しさ」を密かに貫くのは大変な意志力だ。それは律法よりも強靭な優しさであり、恋の極みであり、慈しみの極みである。ヨゼフを漢の鑑といっても良い。
ヨゼフは、ごく普通の人であったろう。何も奇跡を起こさず、その臨終の様も忌日さえも伝えられなかったが、恐らく福音書中、最も偉大な一人であろう。ヨゼフの無私の決断なくして、マリアのその後の人生は無く、イエスの生誕も無かったからだ。そして、ヨゼフは終生、自らの偉大さを全く意識しなかっただろう。彼が聖人に列せられたのは、ずいぶん遅かったらしい。労働者の守護聖人であって、シンボルは大工道具と、そして百合の花である。

掲句の上五中七は、市井の慎ましい労働者であったヨゼフの生涯を示している。下五「百合の花」は聖性を示している。そして、上五中七と下五は、等価である。だから、この句は、ヨゼフに託して、ごく普通の市井人に突然花開く聖性を、高らかに讃えているのだ。
「鷹」平成24年9月号。

2015年6月18日木曜日

今日の小川軽舟 48 / 竹岡一郎




そのあたり夜のごとくに百合白し


百合の神秘性を詠った句。百合以外はあり得ないだろう。百合はそのフォルム勁く、立姿凛然と、濃密な芳香を放つ。何よりもキリスト教世界で、白い百合は、マドンナリリーと呼ばれるように、聖母マリアの花であり、純潔の象徴である。受胎告知の天使ガブリエルは、白い百合を持った天使として描かれる。

「夜のごとく」とあるから、実際には夜ではないのだろう。百合があまりに白いので、百合の周囲は夜のように感じた、という事である。百合は単にその白さのみで、あたりを暗く思わせているだけではない。その純潔さ、その高貴さ、その芳香に比べると、あたり一帯はくすんで見えるのである。だから、この百合は単に植物の百合ではない。聖性を具現化した百合だ。眼ある者は見るが良い。此の世にはあり得ない百合である。

「ジャン二十二世が、最後の審判の前にはどこにも、天国にさえも、曇りのない幸福はありえないと主張するにいたったのも、地上のこの暗さのためではなかったろうか。実際そのとおりである。この地上が暗澹とした混迷にとざされているのをよそに、どこかに今から神の栄光に照らされている顔があって、天使によりかかり、神を観じるつきない喜びに渇きをいやされていることを想像するには、いかに頑固さと片意地とが必要であったろう。」
(リルケ「マルテの手記」望月市恵訳、岩波文庫、223頁)

 これは比喩の句であり、象徴の句なのであるが、この句の優れた技法は、普通なら句の焦点である百合の花を「ごとく」で喩える処を、百合を取り巻く環境が、百合によってどのように変化するかを「ごとく」で喩えたところだろう。また、その喩えも「夜」という茫漠な喩えであり、喩えられる周囲も「そのあたり」という、何ら具体性の無い環境である。

わざわざ抽象の極みのような環境に、更に茫洋たる喩えを用いることによって、掲句の示す世界には、もはや百合以外存在しておらず、その百合も、形容としては、「白し」と誠に素っ気なく、即物的に詠っているのみである。その即物性が、時も場所もわからぬ茫漠たる周囲と相俟って、百合の聖性を強く引き出している。

「鷹」平成24年9月号。

2015年6月15日月曜日

今日の小川軽舟 47 / 竹岡一郎




冷蔵庫闇にひらきて光抱く        

「闇にひらきて」とあるから、深夜、家族が寝静まった後に、喉が渇いたか小腹が空いたかして、開けたのだろう。或いは一人者なのかもしれぬ。日常の些細な事なのに、妙に切実な思いが滲むのは、下五の「抱く」による。作者自ら光に対して働き掛ける動詞を出したことにより、光への想いが出るのだ。

夜中に冷蔵庫を開けて、ぼんやりすると安心する、という人がいる。中にはある程度、食糧が詰まっていた方が良いそうだ。冷蔵庫の温度が上がって、ピーピー音が鳴り出すと、名残惜しく閉めるのだそうで、友人にも何人かいた。私などはドライな人間なので、そんなことは先ずしない。この行為は子宮回帰願望であって必要なのだ、と主張する友もいて、そうであれば中々切ない話である。食べ物が詰まっているのを見て、無意識に安心するのだとも考えられる。それならば本能の変形であって、また悲しい。

季語は作者自身であるとは、作者のかねてからの主張である。掲句は作者と季語が重なって読める例だろう。言葉通りに読めば、冷蔵庫を開いたのは作者である。冷蔵庫の光を抱いたのも作者だ。だが、冷蔵庫が作者の手に応じて、或る意志を以て開いた、と読む事も出来る。今の冷蔵庫はマグネットで閉じているだけなので、内側からも簡単に開く。満杯に物を容れていれば、何もしなくとも勝手に開くことがある。

光を抱くのは、作者であると同時に冷蔵庫でもある。冷蔵庫は完全に閉じてしまえば、中は闇だ。扉を閉じるぎりぎりにして、観察してみると、ふっと光が消えるのが判る。扉をゆっくりと開き始めると、中の物が横から見えるか見えないかの処で、明かりがともる。冷蔵庫は、外界の闇に囲まれて、密閉された闇を抱いているのだが、そこに人間の手が加わって、外界と通じさせた途端に、光が生じる。

食べ物が腐らないための工夫を凝らした箱の内が灯る、これは一時的にせよ安心感を与える。かつて三種の神器と言われただけの事はある。食糧を備蓄できるがゆえに餓えないという安心、そして闇の中でも開けば灯るという安心、やっぱり子宮回帰願望にどこか通ずる安心感なのだろうか。

「鷹」平成26年10月号。

2015年6月8日月曜日

今日の小川軽舟 46 / 竹岡一郎



線切れし黒電話より黴の声    「呼鈴」 


80年代までは、家庭の電話は普通、黒電話だった。私が学生の頃、東京の部屋で黒電話を使っていた。当時の黒電話は、もう一昔前の聳えるようなフォルムではなく、もっと丸っこい形だった。調べてみると、その数は激減したものの、今でも黒電話は使われているらしい。

掲句の黒電話が何処にあるかは記されていない。どこかの古いアパートの空き部屋に座っているのかもしれぬし、戸外に置き捨てられて廃品回収を待っているのかもしれぬ。或いは、掲句が、句集の平成二十三年の部に収められていることを考えるなら、東北の津波の後の惨たらしい景の中に転がっているのかもしれぬと思う。

掲句は黒電話の置かれている景には一切触れず、ただ、線が切れていて、もう使えない黒電話だけを描写している。だから、ここでは、黒電話はいずれの時代とも場所ともわからない虚無の景の中に打ち捨てられているに等しい。

黒電話にはうっすらと黴が生えている。または、目には認められぬが、実際に手に持ってみたら黴臭かったのかも知れぬ。そこにレトロな忘れられた雰囲気を味わうのも、一つの鑑賞だろう。この場合、「声」は、雰囲気、或いは書画を評する時に用いる「におい」を表わしていると取れる。

また、実際に黴のささやく声を聴いたというのも、一つの鑑賞である。黴は生きていて繁殖するのだから、全くの無音ということはない。人間の耳には聞こえないレベルの音というだけだ。その黴の声を、時代に置き捨てられた懐かしさと見るも良し、だが、時代に忘れられた怨みと見る事も有りだ。
黴は一見無害に見えるが、或る種の黒黴は、その胞子が人体に有害であって、例えば、部屋の壁の裏などにびっしりと繁殖した黒黴は、絶えずまき散らすその胞子によって、住人の肺を侵し、死に至らしめる事も有るという。掲句の電話の黒色に、黒黴に託した怨みの有害さを思う事も可能だ。

更に、下五の「声」に注目するなら、電話とは人の声を中継し、会話を取り持つための器械である。何千、何万遍と手に取られ、語りかけらけ、耳を傾けられた黒電話は、膨大な量の声を中継してきたわけで、それは人の膨大な思念を堆積して来たに等しい。

付喪神というのは、九十九年永らえた器物が物の怪と化すのだが、そこまで時を経なくとも置き捨てられた器物は化けるという。電話が化けるとすれば、長年堆積して来た人間の念がその核となる筈で、化けた電話が自らを表現する手段は、ベルを鳴り響かせるか、或いは受話器から慎ましく声を垂らすかであろう。掲句の電話は更に慎ましく、自らの身に繁殖する黴に、己が声を託している。
「黴の声」とは、実際に繁殖する黴の存在表明であり、打ち捨てられている電話という器物の存在表明でもあり、かつてその電話を介した人間の声と思念の存在表明でもある。そうなると、黒電話の色は、繁殖したい黴の思いであったり、化ける他ない器物の思いであったり、人間の過去の声や思念だったりする。そういう堆積の渾沌を、黒という色に観ても良い。

昔流行った電話の怪談といえば、引っ越してきたアパートの一室に黒電話が捨てられていて、線が切れている筈なのに、夜中に鳴ったりする。よせばよいのに、電話に出てしまったりして、受話器から女の恨み言が聞こえたりする。そこから色々バリエーションがあって、早々に部屋を引き払うが、引っ越した先にまた黒電話が転がっている、或いは新居の新しい電話からしつこく幽霊の声がする、自分は引っ越さずに電話を向かいの電柱の下に捨てるが、近所迷惑にも夜中に路上で鳴り響く、あるいは仕事から戻ると、捨てた電話が勝手に部屋に上がり込んでいる、と、まあ、様々な工夫が凝らされるわけだが、この怪談の芯は、置き捨てられ顧みられることの無い思念の、相手構わず縋りたいほどの孤独である。掲句の場合も、その芯となるのは、廃品と化した黒電話の孤独である。その孤独のか細さを、作者は「黴の声」と聴き取る事により、掬い上げたのであろう。

平成二十三年作。

2015年6月4日木曜日

今日の小川軽舟 45 / 竹岡一郎



冷奴庶民感情すぐ妬む

居酒屋の景であろうか。冷奴を肴に飲んでいたりするのである。それで芸能人や金持ちの話題になったりすると、直ぐ妬みが始まる。

華やかなスポットライトや豪奢な暮らしは妬まれるものだ。或いは、妬みの対象は、自分を差し置いて出世した同僚であろうか。

大体において妬みがみっともないのは、物欲しげであるからだ。嵩ずると、餓鬼の如くとなる。幾らでも欲しがるからである。金が欲しい、名誉が欲しい、地位が欲しいとなると、人間、切りがなくなる。で、得られぬ事が明らかになると、妬む。

これが芸能人や金持ちに対する嫉妬なら、酒席における鬱憤晴らしで済む。社会が悪いとなると、やがて煽る者達が現れる。国家の栄光でも良いし、人民の権利でも良いが、色々くっつける大義名分には事欠かない。どんな理由でも煽れるのである。

ここで掲句が、「庶民感情」と言い、「庶民」とは言っていない事に注目するのが肝要である。庶民には一人一人の顔がある。庶民感情には顔が無いし、実体も無い。一つの場の雰囲気であって、無責任な念の流れである。一億総火の玉、とか、造反有理、などのスローガンは、この庶民感情を非常にうまく利用して、贋物の義にまで捏ね上げたものである。

完璧に正しい義なんてものはかつて存在した例がないが、義というものは常に存在する。それが義であるかどうかの判断は、それが自らの正当性や利益のために利用されるものでしかないか、それを奉ずるために殉ずることが出来るか、であろう。

「命もいらず名もいらず官位も金もいらぬ人は始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」とは、西郷隆盛が山岡鉄舟を評した言葉。妬む者は、先ず命が惜しい、次に金が惜しい、それから地位や名誉が惜しい。要するに、痩我慢しないのである。瘦我慢する者を、もののふ、という。

もののふとは、強制できる性質のものではない。理屈ではなく、一念に属するものである。虚仮の一念といっても良いかもしれぬが、その一念は命の惜しい者には砕けない。一種の天性であって、善悪とは関係ない。無論、右翼左翼とも関係ないし、社会性とも関係ない。もっと言えば、生物の本能とも此の世とも関係ない。だから、もののふに成りたくない者は、別に成らなくて良いのである。
掲句は冷奴が利いている。冷奴は、「庶民感情」という甚だ捉えどころのない、厄介な妬み易さに対峙しつつ、親身に寄り添い、諫めている。これが肉の類なら妬みを煽るだろう。魚でも、その生臭さで以て、妬みに加担するかもしれぬ。野菜なら、ただ寄り添っているだけであり、果実ならその芳香によって妬みには無関心であろう。

冷奴は畑の肉と呼ばれる大豆から作られる、要は只の豆腐だ。主要成分は蛋白質で、筋肉の素となる。コレステロール低く、安価にして美味。形簡素にして色つややかに白く潔し。人にたとえるなら、質実剛健であろう。つまりは、もののふである。正確に言うなら、もののふの血腥さを切り捨て、私心無き高潔さだけを強調したような食べ物と言えようか。

また、豆腐とは、精進料理に使われるように、肉食の出来ない僧の為の主要な蛋白質でもあった。「碧巌録」五則の「英霊底の漢」という言葉を思い起こす。僧の理想が英霊底の漢であるなら、僧とは、非武装の「もののふ」か。

「英霊底の漢」の特色として、以下のように続く。「所以に照用同時、卷舒齊しく唱え。理事不二、権實並び行ふ」(ゆえにしょうようどうじ、けんじょひとしくとなえ。りじふじ、ごんじつならびおこなう)非常に簡単に意訳すれば、次のようになろうか。「相手の性質とその場の心の出方を照らし出すように明らかに観、その出方に応じた言動が即座に取れる。肯定否定の二元論を超えて事の流れを観ることが出来るゆえに、否定と肯定の二元論を自在に使いこなせる。物事の本質と外部に表われる事象を一つの流れとして認識することが出来る。権(かり)の、方便の教え、即ち、日常の出来事に対処する教えと、真実の教え、即ち、生死を超えた真理に迫る教えを、並行して説くことが出来る」これを、噂話や煽動による庶民感情の流れに抗する、自制の心構えとして学んでも良いのである。

冷奴は妬む者に黙して寄り添い、食われることによって、妬みを暗に諫めている。冷えた豆腐であることにより、冷静な判断の象徴を想わせる。掲句の冷奴は、庶民感情に流される者の筋肉となり、更には魂の筋肉になろうとしている。その一人の庶民が、地道な暮らしの中で、その誠実さこそが義であると感じ、日々の平穏さを自らが殉じてでも守るべきと感ずるようになれば、もはやその庶民は「もののふ」であるといえよう。血腥くない、冷奴の如く淡々とした、もののふである。

鷹平成26年8月号。

2015年6月1日月曜日

今日の小川軽舟 44 / 竹岡一郎



生国を沖に捨て来し海月かな



クラゲは目が無いから暗いという意で「暗(くら)げ」とする説がある。実際には傘の周りに感覚器官があり、明暗や方向くらいは判別できるらしい。海の月と書くのは、海中にいる時、月のようだからという。一方、水の母と書くのは、クラゲは目が無いから小蝦を目として用い、蝦はクラゲに従うゆえに、蝦を子に、クラゲを母に見立てての事だという。或いは、クラゲは死ぬと水に還るからだともいう。

生国を捨てて漂っているクラゲは、できれば海の月のように仄かに光っていて欲しい、という思いから、作者は「海月」と表記したのであろう。季語を作者自身と解するなら、流離の孤独が、波に霞みつつ映る月の如く光っているのである。

クラゲは受精卵が海中を漂い、それがやがてプラヌラという幼生となり、さらに海底に付着して、イソギンチャク状のポリプとなる。そのポリプが幾つもの節を持つストロビラという形態になり、節が幾つもの傘を積み重ねたような形になると、その傘が一枚一枚分離して、俗にいうクラゲの形となる。それならクラゲの生国は、一般には海底ということになる。

掲句では沖とあるから、沖の海底となると、これは日本で言えば、根の国、黄泉であろう。スサノオノミコトが総べるのは根の国であるが、スサノオは海神でもあることから、沖にも黄泉を設定するのは古代の神話観の一つである。

(ここで興味深いのは、クラゲの寿命は数か月から長くとも半年であるが、クラゲの元となるポリプは環境が適切な限り、不死に近いという事である。即ち、海底の根の国におけるクラゲのいわば「根」は不死なのだ。)

熊野を隠国(こもりく)、死の国と呼ぶならば、紀伊半島南部から広がる海は浄土へ赴く海路であろう。補陀落渡海も思い出される。

そうなると、掲句に相応しい舞台は熊野から見はるかす太平洋であろうし、掲句の源を作者の師系に探るなら、藤田湘子の「水母より西へ行かむと思ひしのみ」である。西は西方浄土であり、湘子が胸中に試みるのは補陀落渡海であろう。

掲句のクラゲは沖という根の国の生れであって、沖を捨てて月のように漂いつつ、恐らく陸、生者の国を目指すのである。体の成分のほとんどが水であるクラゲの形態は、例えるなら、まだ魂である状態であろうか。となると、掲句は転生の一場面を詠ったものと解する事も出来る。

鷹平成26年9月号。


2015年5月28日木曜日

今日の小川軽舟 43 / 竹岡一郎




咲(わら)ふごとく木耳生えし老木かな



「咲(わら)ふ」を、蕾のひらく様、果実の熟して裂ける様などに使うのは、やはり花や果実を見た時の豊饒の喜びが背後にあるのではないかと思われるが、掲句では木耳に使ったもの。木耳は乾燥している時は硬く灰色や茶褐色だが、雨などに濡れるとほの赤いゼリー状になる。木の耳とは良く言ったものだ。内臓とか腫瘍が木からはみ出しているように生々しく見える時もある。それを「咲(わら)ふ」と表現したなら、笑うとは感情の露呈の一種であるから、木の、隠されていた情念が、何かの拍子に、木肌を突き破って現れたようにも思えてくる。木耳は自然界では倒木や枯れ枝に良く生えるという。栽培する時にも、原木は伐ってから、半年は寝かせて乾燥させるという。木耳が、木の死に体の部分に生えやすいのであるなら、掲句の老いた木はもう寿命が尽きかけているのか。
「生える」ではなく、「生えし」とあるから、木耳は生え切っている。どのくらいの量生えているかはわからぬが、兎も角老木の、木耳を生やせる許容量一杯に生えきっているのである。木の最期の日々に、咲くごとく、笑うごとく生えた木耳であれば、それを老木の思いの丈と解しても良い。老木に人を託して観るなら、木耳は人生の最後に燃焼する生々しい情熱を表わすであろう。判りやすく言えば、恋である。仕事に対するものか、人に対するものか、財産に対するものかは知らぬ。かなしいかな、木耳はどこまでも木耳であって、木ではない。あくまでも木の表面に生える物であり、木の本質ではない。人生における恋もまた然りか。鷹平成26年9月号。