-BLOG俳句新空間‐編集による日替詩歌鑑賞
今までの執筆者:竹岡一郎・仮屋賢一・青山茂根・黒岩徳将・今泉礼奈・佐藤りえ・北川美美・依光陽子・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保
2017年5月20日土曜日
続フシギな短詩113[鶴見俊輔]/柳本々々
もうろく。廃墟から自分を見る方法の出発点 鶴見俊輔
哲学者の鶴見俊輔が晩年大事にしていた概念に〈もうろく〉がある。鶴見俊輔は自分から失われていくもの、もうろうとしたもの、あいまいなもの、ぼんやりとしたものを自らの哲学の基礎におこうとしていた。たとえば鶴見俊輔の〈ぼんやり〉をめぐる発言。
ぼんやりしているが、自分にとってしっかりした思想というものは、あると思う。
*
人間を動かすものは明確なものじゃなくて、ぼんやりした信念なんだ。ぼんやりしているけど、確かなものなんだ。
*
自分をどんな時にでも支えられる考えというのは、ぼんやりした、しかし自分の一生を支える考えなんです。
*
自分を支える哲学の底には、自分のわかっていないものがあるのです。それが自分を支えているのです。結局、そのなかから出てきた哲学的な信条は、自分にとって重大な信条というものはぼんやりしているということなのです。明晰に、はっきり命題にできるものは、必ずしも自分を生かしている、自分を支える重大な信条じゃないのです。
(鶴見俊輔「ぼんやり」『鶴見俊輔語録① 定義集』皓星社、2011年)
鶴見俊輔にとって〈ぼんやり〉という思想は自分を支える根っこになっている。ぼんやりがわたしを通し、生かすのだ。そしてこの〈ぼんやりの思想〉は〈もうろくの思想〉につながっていく。
鶴見俊輔の晩年の覚え書きを記した手帖をそのまま書籍化した本に『もうろく帖』『「もうろく帖」後篇』がある。編集グループSUREから最近発刊されたものだ。
鶴見俊輔晩年の毎日の覚え書きを綴る手控え帖なので鶴見の思索の断片だけでなくその日その日に鶴見が書き留めておきたかったスクラップとしての引用も記されているのだが、読んでいて興味ぶかかったのが短歌や俳句の引用が多かったことだ。
もうろく帖にはもうろくをめぐる思索の合間合間に短歌・俳句の引用がちりばめられている。
それは〈なぜ〉なんだろう。
私は短歌や俳句がどこかで〈もうろく〉や〈ぼんやり〉にリンクする文芸だからではないかと思う。これはこの「もうろく帖」という〈表現形式〉としても関係している。
「もうろく帖」には長い記述はみられない。ほとんどが数行、長くても1、2ページの断片がずっと続いていく。こうした断片の思索を重ねていくことが〈もうろくの思想〉だったとも言える。
この断片の思索とは、短歌や俳句にも言えることだ。短歌や俳句は〈始まっては・すぐに終わってしまう〉。そういう文芸形式である。この〈始まっては・すぐに終わってしまう〉ものを支えているのは、定型である。定型があるからこそ、どんなに語る主体がぼんやりしていたとしても、〈もうろく〉していたとしても、表現は成立してしまう。少し過激な言い方をするなら、語る主体がどんなにくるっていたとしても表現が成立するのが「定型」である。定型には〈もうろく〉にアクセスし、〈もうろく〉を思想化させる〈なにか〉がある。そこには、
わからないことを
わからないまま
はなしつづける
たのしさ
*
自分が口に出す言葉にしても、その言葉に自分が話す意図と、その言葉を発する状況とのずれを感じることが多い。自分がはなしている言葉を、はなしている自分のうしろ姿と同時に半分半分にしてとらえたらどういう意味が出てくるだろうか。
(鶴見俊輔「もうろくの春」『鶴見俊輔語録② この九十年』皓星社、2011年)
鶴見さんの老いともうろくをめぐる記述だが、これはこのまま〈定型論〉にもなっている。定型を通した発話とは、「わからないことをわからないままはなしつづけるたのしさ」であり、〈わたし〉という存在を〈わかるわたし〉と〈わからないわたし〉の「半分半分」にすることである。このわたしがはなしているわたしの後ろ姿(岡井隆のことば、「短歌における〈私性〉というのは、作品の背後に一人の人の、ただ一人だけの人の顔が見えるということです」太字はやぎもとが強調)。
鶴見俊輔が晩年に思索し続けた〈もうろくの思想〉は〈短詩の思索〉とも通底している。
短詩とは定型による去勢でもあるわけだが(量的にしゃべれなくなること)、しかしその去勢の奥に質的な「ある」があらわれてくる。
もうろくという感覚を自分でとらえてみると、もうろくの中心に「ある」というこの感覚がある。昨日までできたことが、ひとつひとつできなくなる。その向こうに、「ある」という感覚が、待っている。
(鶴見俊輔「もうろく」『鶴見俊輔語録① 定義集』前掲)
絶対に誰からも気づかれようもないことなのでここに書いてしまうが、実は安福望さんとの共著『きょうごめん行けないんだ』は鶴見俊輔さんの『定義集』のような本がつくりたいねという話から始まった。鶴見俊輔さんの〈できなくなっていく思想〉に基づいた言葉辞典のような本がつくりたいねと。そのなかで、いろんなことができなくなっていったひとの、それでも生きていかなければならない話をしたいね、と。
私にはもうろくのけいこをする機会があった。うつ病の期間三度。
(鶴見俊輔『もうろく帖』2010年、編集グループSURE)
だからあの本のベースは、実は鶴見俊輔さんにあった。
(『「もうろく帖」後篇』編集グループSURE・2017年 所収)
2016年5月3日火曜日
フシギな短詩15[なかはられいこ]/柳本々々
いとこでも甘納豆でもなく桜 なかはられいこ
「AでもBでもなく桜」と二度の〈否定〉を通してはじめて「桜」にたどりつくのが掲句だ。「いとこ」や「甘納豆」という具体名はあがるもののそれらがスルーされ、ながいながい遠回りをして語り手はやっと「桜」にたどりつく。
だからこの句をこんなふうに指摘してみたい。これは〈回避〉の句なんだと。語り手は〈回避〉することによってはじめて「桜」にたどりついたのだ。
しかし、なんのために〈回避〉するのだろう。はじめからひとは「桜」にたどり着くことができないのだろうか。
補助線を引くためになかはらさんのこんな〈回避〉の句もあげてみよう。
行かないと思う中国も天国も なかはられいこ
(「黄身つぶす派」『川柳ねじまき』第1号・ねじまき句会・2014年 所収)
語り手はやはり二度の〈否定〉を通してある〈地点〉を指し示そうとしている。それがどこなのかはわからない。が、「中国」でも「天国」でもないことは確かだ。それは「中国」と「天国」を否定した先にみえてくる〈どこか〉なのだ。
でも考えてみてほしい。ひとはなんのために〈否定〉するのかを。しかも、二度も。
わたしはこんなふうに思う。語り手にとって「いとこ」や「甘納豆」や「中国」や「天国」は非常に磁力の強いものだった。〈否定〉しなければ、「いとこ」や「甘納豆」が「桜」の代替になり、「中国」や「天国」が語り手が〈行くべき場所〉になってしまうくらいに強度のあるものだった。だからこそ、〈否定〉しなければならなかったんじゃないかと。
でも〈否定〉することによって逆に浮き彫りになってきたのはむしろ「いとこ」であり「甘納豆」であり「中国」であり「天国」だった。〈否定〉という行為によって逆に語り手がいつも〈なに〉に意識を向けているかが逆照射されたのだ。
鶴見俊輔はかつて「書かないことが、書くことの中心にあり、話さないことが話の中心にある」と述べた。語らないことの方にむしろ語ろうとすることはある。
だから語り手にとって〈ほんとうの桜〉は、「桜」ではないのかもしれない。「いとこ」や「甘納豆」を《AでもBでもなくX》構文のXに代入できたときに初めて「桜」に出会えるものなのではないかとも思うのだ。つまり、語り手がもう〈回避〉する必要性を感じなくなったときにこそ、語り手は「桜」と正対できるんじゃないかと。
それまでは語り手にとっての「桜」は否定しても否定しても逆に否定することによって強度をもって浮かび上がってくる「いとこ」や「甘納豆」とともにあり続けるだろう。
でも「桜」にたどりつくことよりも、〈なかなかたどりつけなかった〉ことそのものにこそ私は意味を見いだしたい。〈回避〉しても〈回避〉してもやってくる〈なにか〉を思考しつづけることが実は語り手の生そのものになっているのでもないか。〈回避〉を生き直すこと。
思想家のラカンも言っていたはずだ。「あるひとつの経験を考察しようとするときに重要なのは、何を理解しているかよりも、何を理解していないかです」と(『フロイトの技法論』)。
そう、わたしたちは、わたしたちがいつも語ろうとしない〈回避〉のなかに《こそ》、棲みつづけているのだ。
(「くちびるにウエハース」『川柳ねじまき』第2号・ねじまき句会・2015年 所収)
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