2016年5月31日火曜日

フシギな短詩19[米川千嘉子]/柳本々々



  人生の主人公ときに替はる気せり 白湯(さゆ)に浮かびし顔ふつと飲む  米川千嘉子


太宰治『晩年』の最初に収められている「葉」のいちばん最後にこんな断片がある。




  生活。

  よい仕事をしたあとで
  一杯のお茶をすする
  お茶のあぶくに
  きれいな私の顔が
  いくつもいくつも
  うつっているのさ

  どうにか、なる。
    (太宰治「葉」『晩年』)

米川さんの歌の語り手も、太宰のこの語り手も、どちらも〈これから自分が飲もうとするもの〉にみずからの「顔」を投影しているのは共通している。大事なことは顔をうつしているのは〈鏡〉ではなく、「白湯」や「お茶」だということ。つまり、〈はかない〉のだ。それは〈鏡〉のようにいつまでも飽くことなくみつめつづけられるものではない。たゆたい、うつろい、波間に、或いは、あぶくが割れ、きえゆくものだ。〈内面〉が生まれるまえに、〈きえる〉のだ。顔、が。

でも、それが、大事なのではないか。

〈鏡〉はわたしたちの「顔」をうつし、そこでなにかを考えるにはあまりに強度をもっているのではないかと思うのだ。むしろ、鏡にわたしたちの顔は吸着されてしまっているのではないかと。偽の内面をつくらされているのではないか。

でも、白湯やお茶という〈液体〉をとおしてなら違う。そこには「人生の主人公ときに替はる気せり」という相対性がある。「いくつもいくつもうつっている」〈わたし〉という相対性。

だからこそ、「どうにか、なる」と思うこともできる。思い詰めないことによって、だ。

わたしたちは「白湯」や「お茶」にうつったわたしの顔をみることによって、〈顔の複数性〉を手に入れることができるのではないかとおもうのだ。それが、「どうにか、なる」ことなのではないか。

顔をうつし、そのうつした顔に魅了されるまえに、もういちどわたしの顔に顔を取り戻すこと。そういう顔の往還運動のなかに、わたしの生の相対性がうまれること。

わたしの顔に、絶対性を与えないこと。

どんなに「死のうと思って」も、たえず、歌を、言語を、顔をとおして〈わたし〉に複数性を与えること。もうひとつの生を。どんなに生が行き詰まっても、わたしたちはわたしとわたしの往還をつづける限り、

どうにか、なる。

  死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。
  (太宰治「葉」『晩年』)


          (「月光すわる」『一葉の井戸』雁書館・2001年 所収)

2016年5月24日火曜日

フシギな短詩18[野間幸恵]/柳本々々




  この世でもあの世でもなく耳の水  野間幸恵


句集『WATER WAX』のいちばん最後に収められたのが掲句である。最後まで読んだあとにもう一度頭から読み始めて気がついたのが、この句集はこんな句で始まっている。

  耳の奧でジャマイカが濡れている  野間幸恵

つまりこの句集は〈耳〉と〈水〉をめぐる場所から始まり、そうしてまたその最後にいたって〈耳〉と〈水〉にたどりついたのだ。

では、なにが変わったのか。

「耳の奧でジャマイカが濡れている」は、「ジャマイカ」という特定の場所である。そこではいわば、語り手はまだ「ジャマイカ」という特定の場所にとらわれている。また「ジャマイカ」を「濡」らしている水もまた、ジャマイカのなかに閉じこめられている。ここではある特定の〈場所〉が浮き彫りになっている。

しかし句集を通して語り手がたどりついた場所は「この世でもあの世でもなく耳の水」という「この世でもあの世でもな」い〈非・場所〉だった。もはやそこにた対象化し、特定できるような「ジャマイカ」は存在しない。「この世でもあの世でもない」ずっとたゆたう場所に語り手はたどりついたのだ。そしてそこに〈水〉が存在している。

この〈水〉は「耳の水」と「耳」のなかに閉じこめられた水かもしれないけれど、わたしたちが〈実感〉としてわかるように「耳の水」はあるとき突然わたしたちの「耳」から〈抜ける〉。それは〈濡れる〉という浸透の様態とは違い、どこかに〈流れ出る〉水なのだ。

つまり、わたしはこんなふうに、おもう。この句集が最終的にたどりついた場所とは、〈水化された非・場所〉なのではないかと。水のように滔々と流れ続ける〈場所〉。どこにも〈地点〉をみいだすことのない〈場所化できない場所〉。それがこの句集をめぐる〈場所〉の所在なのではないかと思うのだ。

  無いものを探して耳のかたちかな  野間幸恵

俳句のなかでわたしたちは水そのものを旅したり、耳そのものを冒険したりすることができる。わたしたちは〈ここ〉にいるのではない。たえず〈ここ〉になることのできない〈ここ〉がわたしたちのなかに〈ある〉のだ。水、のような。

          (『WATER WAX』あざみエージェント・2016年 所収)

2016年5月17日火曜日

フシギな短詩17[リチャード・ブローティガン]/柳本々々




  ・・・・・
  ・・・・・・・
  (十二個の)赤い実だ  リチャード・ブローティガン


「イチゴの俳句」と題された一句。イチゴは、夏の季語だ。しかしブローティガンにとっては、かれの小説ではおばあさんや階段が小川のせせらぎに見えたりすることもあるように、あらわれてきたイチゴはイチゴそのものではなく、・(ナカグロ)という〈つぶつぶ〉だった。かれは俳句という形式によってなにも語ろうとはしなかったのだ。

ブローティガンにとって〈俳句〉とはなんだったのだろうと時々、かんがえている。

 ぼくは十七歳になり、十八歳になり、十七世紀からの日本の俳句を読みはじめた。芭蕉と一茶を読んだ。感情と細部とイメージを一点にあつめるように言葉を使って、露のしずくのような堅固な形式にたどりつくかれらの方法が、ぼくは気に入った。
  (ブローティガン「はじめに」『東京日記』)

ブローティガンにとって俳句は「露のしずく」だった。そう言われてみれば、掲句の「・」もしずくに見えなくもない。彼が発明した〈しずくの俳句〉である。

もし〈俳句〉がなにかを熱心に物語ろうとする行為を厭う表現形式であるならば、かれの『アメリカの鱒釣り』という小説はある意味で、とても〈俳句的〉というか〈俳文〉のようなものだったかもしれない。

なぜなら、かれはそこで、なにひとつ語ろうとはしなかったからだ。〈アメリカの鱒釣り〉に固執し、それだけをえんえんと周回し、断片を重ねる奇妙な小説。そこにはさまざまなかたちをとって〈アメリカの鱒釣り〉があらわれるけれど、決して〈アメリカの鱒釣り〉そのものは最後まであらわれない。メタモルフォーゼした〈アメリカの鱒釣り〉があらわれては消え、物語はどこにも収束=終息しない。

いや、ゆいいつ、最後に一点だけ、物語は収束する。「マヨネーズ」に。

語り手は、いう。私は以前からマヨネーズで終わらせる小説を書きたかった、と。ここには〈大いなる意識の逸脱〉がある。それまで積み上げた〈アメリカの鱒釣り〉を放棄し、「マヨネーズ」へと逸脱すること。

わたしはときどき俳句とは、この〈意識の逸脱〉を形式化したものではないかとおもうのだ。用意された季語のかたわらにふっと逸脱した〈なにか〉が配置される。しかしそれが定型によってマヨネーズのように奇妙な塩梅で配合され、組成されたもの。HAIKU。

掲句が載った『東京日記』はブローティガンが東京をうろうろしながら綴った詩であり日記である。それは東京に点在する〈しずく〉のようなもの。〈黄色いライオン〉と呼ばれた詩人は、東京のあちこちで、新宿で、明治神宮で、銀座で、東京駅で、〈詩のしずく〉を拾い集めた。ひとつひとつの〈・〉を。

 いつの日か自分は日本に行かなくてはならないとさとった。ぼくの生命の一部はぼくより先に日本に行っていた。ぼくの本は日本語に訳されていて、それに対する反応はとても知的なものだった。そのことがぼくをはげまし、森の中をこっそりと動いてゆくオオカミのように、書くということの、ひとりぼっちの道すじをたどりつづける勇気をあたえてくれた。
  (ブローティガン「はじめに」『東京日記』)

わたしもブローティガンがかき集め、残した言語化できない〈・〉のひとつぶひとつぶから今まで「勇気」をもらってきた。それはたぶん〈勇気のイチゴ〉だったんじゃないかなと今あらためて思うのだ。次のような。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

今回の記事は(あえて唐突に)この言葉で終わってみたい。わたしもこの言葉で終わる記事をいつか書きたいと思っていたから。

マヨネーズ。

          (福間健二訳「イチゴの俳句」『東京日記』思潮社・1992年 所収)

2016年5月10日火曜日

フシギな短詩16[中澤系]/柳本々々




理解したような気がした 理解したような気がした、ような気がした  中澤系

ときどき、中澤系さんにとって〈理解〉とはなんだったのだろうと考えている。中澤さんには〈理解〉をめぐるとても有名な歌がある。

  3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって  中澤系

穂村弘さんがこの歌に対してこんな〈理解〉をめぐる解説をしている。

 今、それが「理解できる人」であっても、進化や変化や崩壊を無限に繰り返す世界のルールを永遠に理解し続けることはできない。どこかで必ずついていけなくなる日がくる。誰もが未来のどこかの地点で、世界から「理解できない人は」と告げられることになる。「下がって」と。
  (「未来の声」『中澤系歌集 uta0001.txt』双風舎・2015年 所収)

穂村さんの解説を敷衍して私なりに言葉にしてみれば、中澤系さんにとって〈理解〉とは言葉の受け手が〈枝分かれ〉するものであったのではないだろうか。

たとえば「快速電車が通過しますお下がりください」はその言葉の受容者を一枚岩にするものだ。そのときひとりひとりは〈みんな〉になって「お下がり」するだろう。だれも・なにも・疑わずに。

ところがそこに「理解」という、言葉の受け手にとって〈理解の仕方〉に差異がでる言葉の場合は、シーンが変わってくる。理解できるひとも出てくれば、理解できないひとも出てくる。穂村さんが書いたように、きょう理解できても、あした理解できないひともいるだろう。もちろん、きょう理解できなくて、あした理解してしまうひともいるかもしれない。

ともかく〈理解〉によって状況は〈偶有〉的になるのだ。つまり、わたしたちは、そのつど〈たまたま〉「お下がり」している者たちに過ぎないと。そしてもっといえば、きょうわたしたちは〈たまたま〉いまここにいてみずからの存在を〈たまたま〉受け止めているにすぎないんだと。

だとしたら、わたしたちは〈理解〉という言葉そのものを《理解》することが困難なのではないだろうか。〈理解〉したと思っても、それは次のしゅんかんには〈食い違って〉いるかもしれない。幻想かもしれない。錯覚かもしれない。

だから初めに掲げた歌にわたしたちは戻ってくる。

  理解したような気がした 理解したような気がした、ような気がした  中澤系

理解に〈終わり〉はない。「理解」という言葉を提出したしゅんかん、わたしたちは〈果て〉のない〈平坦な戦場〉を生き延びてゆかねばならないことを自覚する。いや、させられてしまうのだ。「理解」という発話そのものから。

  理解とはなにかぼくにはわからないわからないことだけわかるけど  中澤系

加藤治郎さんは中澤さんの歌集のモチーフをこんなふうに指摘していた。

 「終わらない」ことは、この歌集のモチーフであった。
  (「uta のために」前掲)

わたしたちは、たぶん、「理解」を「理解」しあえない。

でもそこから、もういちど、始めてみたい。また終わるために。

          (「Ⅰ 糖衣(シュガーコート)1998 1999」『中澤系歌集 uta0001.txt』双風舎・2015年 所収)

2016年5月6日金曜日

人外句境 39  [寺山修司] / 佐藤りえ



旅鶴や身におぼえなき姉がいて  寺山修司


あくまで「旅鶴」ということばに引きずられながらの連想ではあるけれど。旅籠の自室に戻ろうと襖をあけた途端、「おかえり」と言って迎える女が室内にいたとする。面食らって立ち尽くす自分をよそに、女は楽しそうに他愛のない話をまくしたてる。話の途中で女が「姉さんだって」などというのが耳にひっかかる。そうだ、俺には姉がいたのだ。この部屋で姉とふたり、今朝まで暮らしていたんじゃないか――。

漱石の『夢十夜』にも、背負われた子供が、道中、負うた男の前世の子殺しを咎めだす、という話がある。どこの誰とも知れぬ存在が、既知のはずの身内として現れる、というのは古典的な状況設定のひとつといえる。

寺山修司においての「見知らぬ身内」は概念としての存在のようでもあるし、舞台装置のひとつひとつのようでもある。父・母・姉・妹・弟・伯父…といった親族がぽつりぽつりとあらわれ、薄暗がりに浮かび上がる。彼岸の者も未生の者も等しく存在しうる世界が、作者の今いる世界である。

 外套のままのひる寝にあらわれて父よりほかの霊と思えず
 間引かれしゆゑに一生欠席する学校地獄のおとうとの椅子
 まだ生まれざるおとうとが暁の曠野の果てに牛呼ぶ声ぞ

 午後二時の玉突き父の悪霊呼び 
 暗室より水の音する母の情事 
 いもうとを蟹座の星の下に撲つ 
 枯野ゆく棺のわれふと目覚めずや

『寺山修司コレクション』に再録された岡井隆の文章に、こんな一節がある。

 寺山修司の文学には、
 〈なってみる〉
 という要素がつよかったのではないか。(中略)
 〈なってみる〉という時の見る人は、誰なのか。やはり、そう〈なった〉自分であろう。自分で、自分の成りかわったすがたを〈見る〉のである。そこに余裕がある。(中略)ひたすらに、なにものかに化ける執念を、横目でみながら、イナしている。そこに含羞がある。

寺山修司の作品が私性の話題に及ぶとき、この「私」の入れ子構造が、我慢ならない人にとっては我慢ならない仕組みなのだろう、と思う。掲出句でいえば、身に覚えのない姉がいる「私」の狼狽を見ている「私」の存在がある。“て止め”によってあぶり出された、緊張感をたたえた「姉と私の場面」を、「私」は読者と一緒に見ている側にいる。



〈『寺山修司コレクション1全歌集全句集』思潮社/1992

2016年5月3日火曜日

フシギな短詩15[なかはられいこ]/柳本々々



  いとこでも甘納豆でもなく桜  なかはられいこ


「AでもBでもなく桜」と二度の〈否定〉を通してはじめて「桜」にたどりつくのが掲句だ。「いとこ」や「甘納豆」という具体名はあがるもののそれらがスルーされ、ながいながい遠回りをして語り手はやっと「桜」にたどりつく。

だからこの句をこんなふうに指摘してみたい。これは〈回避〉の句なんだと。語り手は〈回避〉することによってはじめて「桜」にたどりついたのだ。

しかし、なんのために〈回避〉するのだろう。はじめからひとは「桜」にたどり着くことができないのだろうか。

補助線を引くためになかはらさんのこんな〈回避〉の句もあげてみよう。

  行かないと思う中国も天国も  なかはられいこ
     (「黄身つぶす派」『川柳ねじまき』第1号・ねじまき句会・2014年 所収)

語り手はやはり二度の〈否定〉を通してある〈地点〉を指し示そうとしている。それがどこなのかはわからない。が、「中国」でも「天国」でもないことは確かだ。それは「中国」と「天国」を否定した先にみえてくる〈どこか〉なのだ。

でも考えてみてほしい。ひとはなんのために〈否定〉するのかを。しかも、二度も。

わたしはこんなふうに思う。語り手にとって「いとこ」や「甘納豆」や「中国」や「天国」は非常に磁力の強いものだった。〈否定〉しなければ、「いとこ」や「甘納豆」が「桜」の代替になり、「中国」や「天国」が語り手が〈行くべき場所〉になってしまうくらいに強度のあるものだった。だからこそ、〈否定〉しなければならなかったんじゃないかと。

でも〈否定〉することによって逆に浮き彫りになってきたのはむしろ「いとこ」であり「甘納豆」であり「中国」であり「天国」だった。〈否定〉という行為によって逆に語り手がいつも〈なに〉に意識を向けているかが逆照射されたのだ。

鶴見俊輔はかつて「書かないことが、書くことの中心にあり、話さないことが話の中心にある」と述べた。語らないことの方にむしろ語ろうとすることはある。

だから語り手にとって〈ほんとうの桜〉は、「桜」ではないのかもしれない。「いとこ」や「甘納豆」を《AでもBでもなくX》構文のXに代入できたときに初めて「桜」に出会えるものなのではないかとも思うのだ。つまり、語り手がもう〈回避〉する必要性を感じなくなったときにこそ、語り手は「桜」と正対できるんじゃないかと。

それまでは語り手にとっての「桜」は否定しても否定しても逆に否定することによって強度をもって浮かび上がってくる「いとこ」や「甘納豆」とともにあり続けるだろう。

でも「桜」にたどりつくことよりも、〈なかなかたどりつけなかった〉ことそのものにこそ私は意味を見いだしたい。〈回避〉しても〈回避〉してもやってくる〈なにか〉を思考しつづけることが実は語り手の生そのものになっているのでもないか。〈回避〉を生き直すこと。

思想家のラカンも言っていたはずだ。「あるひとつの経験を考察しようとするときに重要なのは、何を理解しているかよりも、何を理解していないかです」と(『フロイトの技法論』)。

そう、わたしたちは、わたしたちがいつも語ろうとしない〈回避〉のなかに《こそ》、棲みつづけているのだ。

          (「くちびるにウエハース」『川柳ねじまき』第2号・ねじまき句会・2015年 所収)

2016年4月26日火曜日

フシギな短詩14[久保田紺]/柳本々々



  大好きな隙間に誰か立っている  久保田紺

隙間、ってなんだろう。

この句で語られているのは、〈大好きな誰か〉のことではない。「大好きな隙間」のことだ。

語り手が大好きなのは「誰か」ではなく、「隙間」なのである。すべては「隙間」から始まっている。隙間誌上主義者による句だ。ここにはヒューマニズムは、ない。

でも問題は「隙間」というのは文字通り〈透き間(スキマ)〉があるということだ。つまりどれだけ大好きであろうとも、そこに〈なにか〉や〈誰か〉が入り込むことを許してしまう〈余地〉がある。隙あってこそのスキマなのだから。

だからどれだけ隙間至上主義者であっても、そこには〈誰か〉がやってくる。「大好きな隙間」に入り込んだ〈誰か〉なのだからとうぜん語り手は気になってくるはずである。実際、「誰か立っている」と語り手は、もう、気にし始めている。

でも「誰か」という呼称にも注意してみよう。誰かがたとえそこにいたとしてもそれは「隙間」ほどのスペースしかないのだから、それが「誰」なのかを語り手は特定することができない。年齢も性別も、もしかしたら人間かどうかさえわからないかもしれない。「誰か立っている」ことしかわからない。語り手は、いま、〈大好き〉を通して〈未知〉にであっているのだ。

語り手はこれからどうするのだろう。「大好きな隙間」のためにその「誰か」を排除しようとするだろうか。それとも、その「大好きな隙間」にいる「誰か」を「大好き」になるのだろうか。

  ふたの隙間から鼻血が出ています  久保田紺

この句集のもうひとつの「隙間」の句である。「ふたの隙間から鼻血が出て」いる。ああそうか、って思う。「隙間」は生命とつながっているのだ。だから「鼻血が出て」くる。

だとしたら、「隙間」が「大好き」な語り手はきっとその「隙間」でこれから〈大好きな生命〉に出会うに違いない。

隙間は、どくどくと、息づいているんだから。

ひとは橋の上で、戦場で、月の下で、誰かとであうわけでもない。隙間のなかで出会う場合だって、あるのだ。

世界はわたしたちが思っている以上に、まだまだ、ひろい。その広大さを教えてくれるのは、文学であり、川柳である。
 
かつて、世界の果てが失われてゆく実感のなかで、スコット・フィッツジェラルドはこんなふうに述べていた。

「そうか、空を飛べば抜け出せたのか──」

 空さえも今や自由に飛び立てるようになってしまったわれわれには、いまだ未知のフロンティアとして次のことばが、残されている。

そうか、隙間があるじゃないか。ゆこう。

          (『大阪のかたち(川柳カード叢書③)』川柳カード・2015年 所収)

2016年4月24日日曜日

黄金をたたく30  [桑原三郎]  / 北川美美



生涯の顔をいぢつている春よ  桑原三郎 


「春よ」としたことで、春の歓喜を詠っていると解せる。冬の間の強張った顔がやわらぐ季節に顔をいじる。おそらく他者の顔ではなく自分の顔。鏡を見ずに眉や鼻や頬、髪や髭をいじるのであれば、何か考え事をしているとき、というのが大筋だけれど、「生涯の顔」であれば、「いじつている」行為をしばらく見ている、それが「生涯の顔」であると自分が認識する必要があり、その状況から、鏡の前のことなのではないかと想像する。 ふと、鏡の前の自分の顔が気になって「いじる」。また春が巡ってきた歓びと、いつかは死んでいく己の生きてきた顔かたちを自らの手で確めている。どうだ、お前元気か、と自分が自分に問いかける。なにはともあれ自分がつくってきた顔、今まで連れ添ってきた自分の顔なのである。

三郎の「顔」の句は春に詠まれることが多い。身体の中で一番先に春を感じる部位が、顔。逆を言えば、顔に気が付く季節が春である。一年中なにも纏っていない無垢な部位だから一番先に季節を感じるのだ。

手に乗せて顔はやはらか春あけぼの  「花表」
ちるはなや顔(かんばせ)は吹き荒らされて 「龍集」
顔を置く机上はひろし夜の鶯

<『龍集』1885(昭和60)年 端渓社所収>

2016年4月21日木曜日

人外句境 38  [曾根毅] / 佐藤りえ



立ち上がるときの悲しき巨人かな  曾根毅

「巨人」はこれまで扱ってきた「人外」のなかではちょっと特別な存在である。「擬人化」という言葉があるが、「巨人」は「大きすぎる人」であり、人になぞらえるどころか、大きさ以外の要素は人と同じであるように考えられがちである。神話・伝承に残る彼らの情報は、地形を作った、などの大きさを活かした特殊なことを除けば、山にすわった、川で足を洗った、など(スケールを除き)人間の行動と大差ないものとされている。

その「大きさ」というたったひとつ(ではないだろうけど、もっとも特異なところ)の異質さを、大きさゆえに、彼らはひとびとの目から隠すすべもない。

立ち上がるとき、と書かれているが、巨人はきっと立ち上がる以前も悲しい。敢然と立ち上がるとき、その大きさはより際立ち、見るものを圧倒することを、巨人は知っている。

地面に拳をつき、踵に力を入れる、動作の瞬間の、悲しみのきわまりを描く掲句は、やさしく悲しい響きを持っている。



掲句は句集『花修』冒頭に置かれている。編年体の句集なので、一冊の中では作者が最初期に詠んだ句、ということになる。本の冒頭に作者の本質が表れる、などと軽々に言いたくはないが、この作者のえがく、薄闇の気配をまとったような作品群と巨人の「悲しさ」には通底するものがあるように思う。


暴力の直後の柿を喰いけり
白菜に包まれてある虚空かな
我が死後も掛かりしままの冬帽子
山鳩として濡れている放射能
天蓋の燃え残りたる虚空かな
少女病み鳩の呪文のつづきおり
人日の湖国に傘を忘れ来し
春昼や甲冑の肘見当たらず
殺されて横たわりたる冷蔵庫
祈りとは折れるに任せたる葦か

暴力の直後の柿を喰いけり」は暴力の余韻を十分に曳く佳句。この句のように、事象の「瞬間」でなくその「のちのこと」を予感し、また、前後の時間を思わせる「言葉の経過」を持つ句も印象的だった(「我が死後も掛かりしままの冬帽子」「天蓋の燃え残りたる虚空かな」「人日の故国に傘を忘れ来し」など)。「殺されて横たわりたる冷蔵庫」など、暴力も含めた力の行使の果ての変容といったものも主題の底に流れているのだろうか。

山鳩として濡れてゐる放射能」集中にはセシウム、マイクロシーベルトといった語彙により、福島第一原子力発電所の事故による災禍を間接的に詠んだ句もあった。実際のところ、こうした言葉が作家自身、また読む者にとって「詩語として」共有できるようになるのか、現在すでにそうなっているのか、は判断が難しいところであると思う。放射能が「山鳩として」濡れているという表現は、放射能を「山鳩として」捉えている、ということでもある。言葉の世界のなかでそれら目にも見えないものを単に「言葉を使って」あらわすのではなく、捉え直し、形を与えようとする意思がよく見える。世界を「捉え直す」という、言葉、ひいては詩の本来の役割について、改めて考えさせられる。

〈『花修』深夜叢書社/2015)

2016年4月19日火曜日

フシギな短詩13 [喪字男]/柳本々々



  たまに揉む乳房も混じり花の宴  喪字男


季語は「花の宴」。お花見のさいちゅうである。宴の文字からもわかるとおり、すこし祝祭的で、やや入り乱れている。桜も、舞っている。

そのなかで語り手が注目しているのは「乳房」でとらえる世界である。お花見のなかで、語り手は「乳房」からいま・ここの感覚をとらえようとしている。そこでは誰それがいるということが問題になるのではなく、どのような乳房があるかが問題に、なる。

そして今回問題になっている乳房は「たまに揉む乳房」だ。頻繁に揉む乳房でも、揉むこともなかった乳房でもない。「たまに揉む」だから、すこし関係があって、すこし関係がない「乳房」である。

「混じり」という言葉づかいにも注意してみよう。「混入物」という言葉もある通り、〈混じる〉は通常そこに構成されなかった異物が加わるときに使われる言葉だ。だから語り手にとっていま・ここにある〈風景〉は新しい風景のはずだ。ふだんは混じることのない構成のなかに「たまに揉む乳房」も混じっているのである。

前回は、長嶋有さんの句の「不倫」と「ポメラニアン」の距離感をみてみたのだが、今回の「たまに揉む乳房」と「花の宴」はほとんど距離感がないことが特徴なのではないかと思う。むしろ「花の宴」というすべてがないまぜになっていく祝祭空間において、「よく揉む乳房」や「揉んだことのない乳房」、「たまに揉む乳房」が混成し、〈乳房の祝祭空間〉=「花の宴」になっていくという〈距離の消失〉こそが語り手にとっての〈春の祝祭感〉になっているのではないかと、思う。

そう、祝祭とは、距離の消失のことなのだ。そしてそれこそが語り手にとっての《宴(うたげ)》なのである。

舞って散る花びらの動きは予想がつかない。意想外のところに〈混入〉するだろう。宴のような人生も、そうだ。さまざまな人間が出たり入ったりする。人生は予想もつかない花びらの舞い散る速度で〈混成〉されていく。

すべては「花の宴」のなかで起きるのだ。

          (「ハイクラブ」『里』2013年5月号 所収)