揚羽蝶派手な死装束だこと 仙田洋子
  息絶えた揚羽蝶が道端に落ちているのを見ることがある。ありふれた夏蝶の死である。翅が破れていたり、埃っぽかったりしてはいても、どこか見過ごせないものがある。大振りで未だ光を帯びた翅の質感、黒地に鮮やかな黄や青の色彩。骸となってもよく目立つ。確かに派手である。
  「派手な死装束だこと」のつぶやきがそのまま一句になっている。そのつぶやきの背後にある作者の感慨を思う。
 真夏の暑さの中を狂おしく飛び回った果ての揚羽蝶の死には、外見の派手さとはうらはらに、寂しさや、痛々しさが感じられる。そして、同句集中の〈夏蝶もみな孤独死ではないか 仙田洋子〉の句がそのまま諾える。
   
   八月の石にすがりて
   さち多き蝶ぞ、いま、息たゆる。
   わが運命(さだめ)を知りしのち、
   たれかよくこの烈しき
   夏の陽光のなかに生きむ。
    ・・・・・    
  伊東静雄「八月の石にすがりて」より
   〈『はばたき』(2019年/角川文化振興財団所収〉 
