2017年7月15日土曜日

続フシギな短詩142[北山まみどり]/柳本々々


  歩かなきゃパセリが森になる前に  北山まみどり

北山まみどりさんともろとさんの句集『川柳と少女マンガと…』。まみどりさんの句にもろとさんが少女マンガタッチの絵をつけている。

少女マンガ言説とは、なんだろうか。どうしてわたしたちはある絵をみたとき、この絵は〈少女マンガ的〉だとわかるんだろう。

それがこの句集を読んでいると少しわかってくる。まず少女マンガは、多彩な背景のスクリーントーンの使用が、怒濤のように移り変わっていく少女の内面の推移をあらわしている。少女の内面を描いているのは背景の特殊なスクリーントーンの効果による(つまり、背景に特殊なきらきらなどを入れるとギャグタッチの画でも少女マンガ言説にすることができる)。

少女はコマという背景全体で人生を生きている。だから、好きな相手(それが男性である場合もあれば女性である場合もある)から否定されるときは、この背景全体が否定されることになる。少女マンガにおいては、読者はコマ全体とともに少女の内面に寄り添うことになる。

この背景の推移が少女の内面に同調していくことにまみどりさんの句はよくあっている。掲句をみてほしい。

「パセリが森に」と背景の推移が描かれている。「パセリ」ならまだ引き返せるが、「森」のように奥深い背景になったらもう引き返せない。だから「歩かなきゃ」ならない。この「なきゃ」も少女マンガ言説に同調している。「~しなきゃ」と思うのは、想いを寄せる仮想の相手がいてその相手に価値観をあわせることを意味している。

  笑わなきゃもっとどんどん太らなきゃ  まみどり

笑顔も身体も〈見せる〉ためにあるのだ。見られるわたしは、わたしを見るあなたを意識する。そこに「~なきゃ」という内面が生じる。

ためらい、迷い、しかしそのなかで、複数の「~しなきゃ」を見つけながら、それをなんとか実践しようとしながら、少女は〈あなた〉を振り向かせようとする。

逆に言えば、〈あなた〉がふりむいてしまうと、到達してしまうと物語は終わるので、少女マンガは迷いつづけねばならない。どんなに平坦な、らくな、かんたんな、まっすぐの道でも、あなたがいるおかげで、迷いつづけねばならない。

  真っ直ぐな道で迷ってばかりいる  まみどり

          (『川柳と少女マンガと…』2011年 所収)