みみず地に乾きゆくとき水の記憶 和田悟朗
真夏の灼けたコンクリートの上で干乾びたみみずを見かけることがある。完全に乾ききって黒ずんでしまったみみずもいれば、半身は干乾びつつも残りの半身はまだ生々しい皮膚のままのみみずもいる。そんな時は、水分をたっぷり含んだ柔らかい土に戻してあげたいと思うことがある。
掲句の「水の記憶」が印象的だ。みみずが「地に乾きゆく」つまり死に直面するその一瞬。みみずは時空を超えて、太古へと遡る。海から陸へという生物の進化の過程の、もっとも根源の懐かしい「水の記憶」が甦る瞬間ではなかろうかと思えてくる。そしてそれは、みみずの記憶であると同時に、作者の記憶であり、私たちの記憶でもあるではなかろうか。
『和田悟朗の百句』より夏の句を。
かぐわしく少年醒めて蟬の仲間
夏至ゆうべ地軸の軋む音少し
蛇の眼に草の惑星昏れはじむ
遠泳やついに陸地を捨ててゆく
森を出る過ぎゆく夏のふくらみに
〈森澤程『和田悟朗の百句』(2023年/ふらんす堂所収)〉