かさぶたのいつしか剥がれ夜の秋 広渡敬雄
「かさぶた」についての情報はなにも語られていないのだけれど、かさぶたが出来、それが乾ききって剥がれるまでの鬱陶しさはよくわかる。かさぶたは周囲から徐々に乾いていくと、つい、乾いた部分をはがしたくなる。かさぶたを少しずつ剥がしていくのは、スリル感を伴う快感でもある。「いつしか剥がれ」てしまったら、ちょっと惜しいような気がしないでもない。などと埒もないことを思う。
仕事が一段落し、ほっと一息つく夏の夜。涼風が肌に心地よい。
そういえば気になっていたかさぶたは、と見るといつしか剥がれている。かさぶたが剥がれ、傷が癒えたことは喜ばしいことだと思われるが、吹く風に秋の気配が漂う「夜の秋」。なんとなく淋しさが感じられる一句である。
はかなく消えた「かさぶた」のかすかな喪失感と、去りゆく季節への愛惜とが、「夜の秋」のひんやりとした空気に重なる。
〈句集『風紋』(2024年/角川文化振興財団所収)〉