司会者の慇懃無礼去年今年 和田誠
喋ることが仕事とはいえ、司会業を営む人たち皆が完璧な日本語を使いこなせているわけでもなく、そのキャラクターは人それぞれ。中には、なんにも間違っていないのだけれども、使う言葉にどうにも違和感を覚えるような人だっている。特に敬語なんかで、聞く度に鳥肌が立つような、そんな感じ。日本語の問題、というより、その人のキャラクターの問題だろう。なんだか、「らしくない」とでもいうべき、あの感触。
年末から新年にかけて、忘年会や新年会をはじめとして、何かとイベントが多い。テレビショーでも特別番組が多く編成され、司会の人々が多く目につく。そういう人々の慇懃無礼さも、一種の風物詩というような感じで、気にはなりつつも、こちらはこちらでワイワイやっている、だとか、お茶の間で家族団欒、和気藹々と楽しんでいるだとか、そんな風景が見えてくる。「無礼講」という言葉も思い浮かんでくるよう。昨年もなんだかんだありましたけど、総じていい年でしたね。今年もよい年になりますように。そんな具合だろうか。
《出典:和田誠『白い嘘』(梧葉出版,2002)》