2015年4月29日水曜日

今日のクロイワ 23 [相生垣瓜人]  / 黒岩徳将


耳目又惑はむ梅雨に入りにけり  相生垣瓜人

雨粒の音に合わせて今年もやってきた…と思わせる季節の到来だが、ここで使われる「耳目」は、梅雨と配合されることによって、「複数人の注目」という意味合いよりも、むしろ体の部位としての形状を思わせる。

耳のぐるぐるした模様めいたかたち、目の人に訴えかけるメッセージ性。とかく人間・動物は不思議なパーツを与えられたものである。


『明治草』より

2015年4月27日月曜日

目はまるで手のように言葉に触れる 10[篠田悌二郎]/ 依光陽子




初蟬や疲れて街をゆきしとき    篠田悌二郎


水原秋櫻子門下にして抒情的な句を作らせたら右に出る者がいないといわれた篠田悌二郎がはたして蟬が好きだったかどうかは知るべくもないが、旧号は「春蟬」であり、そう思ってみれば蟬の句が少なくもない。

掲句は昭和8年の<奥多摩晩春十二句>のすぐうしろに置かれている。なれば強引に松蟬と受け取ってもあながち見当違いでもないであろう。
三越本店に勤めていた悌二郎だから、日本橋あたりを歩いていた時か。一日の疲れを感じながら歩いている。その耳に、不意にその年初めて聴く蟬の声がひとすじの糸のように入り込んできた。ひとすじの糸とは抒情的な解釈にしたまでで、その蟬が松蟬であるならば、ギィギィと骨の軋むような声であり、街の雑多な音の中からある違和として聴き取ったその声から、疲れの質や疲れ具合が想像できる。

注目するのは「ゆきしとき」。この人は疲れてはいるがダラダラと歩いてはいない。普段と同じ歩幅、歩調がこの言葉から見えてくる。それから初蝶、初音、その頃になると現れる鉦叩など、生き物の初鳴きは「おっ今年も来たね」と一年ぶりの友人との再会のような、ちょっとした嬉しさで心を浄化させてくれるものだ。「初」という文字がフラッシュのように一句を明るくしている。

掲句を収めた句集『四季薔薇』は篠田悌二郎の第一句集。本句集には水原秋櫻子と共に「ホトトギス」を脱会する前後の句が収められている。<初心の頃、割り合に伸び伸びしてゐた自分の句が、中頃になつて全く個性を失つて、沈滞してしまつたのは、ホトトギスの客観写生の説に迷はされてゐたからである>と後記にあり、これには共感する部分もあるのだが、結局は言い訳にしかすぎないと思う。その証拠に「ホトトギス的」俳句から所謂「馬酔木調」への遷移は見えるが、劇的に句が変化し向上しているかといえばそうではないからだ。もちろん一冊の句集で判断できることではないのだが。ともかく、秋櫻子に師事することで<漸く、真の自分をとりもどす事が出来た(同)>という悌二郎の「真の自分」は句集の後半部に当る。全体的に絵で言えば印象画的な句、洗練された耽美的な風景描写はその頃は清新だったのであろうが、今の人がこれらの句にどれだけ感銘を受けるかは各人の俳句に対する志向性によるだろう。そんな集中にあって掲句は現代でも十分に受け容れられる一句である。

暁やうまれて蟬のうすみどり 
風立てば鳴くさみしさよ秋の蟬 
埼玉や桑すいすいと春の雨 
凌霄の花のふまるる祭かな 
波更けて心もとなく涼しけれ 
人今はむらさきふかく草を干す 
はたはたのをりをり飛べる野のひかり 
ひかりなく白き日はあり蘆を刈る 
トマト挘ぐ手を濡らしたりひた濡らす

(『四季薔薇』昭和8年刊。『現代俳句大系 第一巻』所収)

2015年4月26日日曜日

人外句境 15 [関悦史] / 佐藤りえ


少女みな軍艦にされ姫始  関悦史

『艦隊これくしょん』というブラウザゲームがある。プレイしたことがないので以下、すべて伝聞となる。

ゲームの内容は大日本帝国海軍の艦艇を集め、艦隊を強化しながら敵と戦闘し勝利を目指す、というものである。

これだけ書くと「戦争シミュレーションゲームか」と思われるかもしれないが、このゲームがそういった枠組みに入るのか否か若干の疑問を(プレイしたことがないのにもかかわらず)抱くのは、使用される艦艇が萌えキャラクターとして擬人化された「艦娘(かんむす)」と呼ばれるものだから、である。


長門、陸奥、大和など、戦艦の名前を与えられた彼女たちは、外見上にもととなった戦艦、艦艇の特徴を備えている。ためしにweb検索でこれら戦艦の名前を調べてみると、画像の上位に「船を背負った」みたいな外観の少女の絵が出てくる。それらはきっと「艦娘」だ。

艦娘たちは戦闘に使用されるので、攻撃を受ければ当然破損することもある。「小破以上でアイコンから黒煙が吹き出し、中破以上の状態になるとグラフィックが変化(服が破ける、武装が壊れるなど)」し、耐久力が0になると「轟沈」するらしい。

ちなみにプレイヤーはゲームの中では「提督」という位置づけで、ゲームのために接続するサーバ(複数ある)には、太平洋戦争期の大日本帝国海軍に実在した鎮守府などの名称が与えられている。

「萌え」はそんなものまで包括するのか、と目が点になるものだが、掲句を見てはたと思った。
「軍艦が少女にされている」を「少女が軍艦にされている」と言い換えると、「萌え」で覆われているもやもやした部分が一気に露わになる。

それによって「身近に感じることができる」とは、擬人化の方便のひとつであろう。

なればこそ、艦娘とくりひろげる姫始も想定の範囲内のことではないか。

どっちが受けでどっちが攻めか、といったところまでは、当方はいっさい関知しない。

〈『GANYMEDE』60号/銅林社・2014〉

2015年4月25日土曜日

今日の小川軽舟 39 / 竹岡一郎


菜の花や明るい未来暮れてきし      「呼鈴」

中七から見るに、一見、明るい伸びやかな句に見える。春の夕暮れの景であって、その穏やかさに明日も明るかろう世界を思うのである。しかし、「明るい未来」というのは、如何にも抽象的で、良く使われる類の標語、スローガンである。高度成長期の頃なら、誰もが気軽に使った言葉であるが、現在の世の中ではまた別である。明るい未来など、庶民はあまり信じていないのである。そうなると、この句が皮肉であると取れよう。「明るい未来」である筈だった「現在」と云う時が、為す術もなく夕闇に呑まれてゆくのである。「暮れてきし」とは、未来が暮れてゆく、即ち、神々の黄昏ならぬ人類の黄昏であると読む事も出来よう。中七を看板の文句であると読む事も出来る。そんな標語が書いてある看板は、如何にも時代遅れの、少なくとも三十年くらいは経った古い看板であろう。もしかしたらホーロー製で、ぼろぼろになった由美かおるが蚊取線香と共に微笑んでいる看板の横に掲げられているかもしれぬ。その看板が暮れてゆくのであれば、これは観ようによっては一種凄惨な、胸詰まる風景であろう。

いずれの場合にも上五の「菜の花」が重複する象徴性を持つことになる。今は失われつつある日本の田園であり、或いは臨死体験をした者が多く語る死後のお花畑を思うなら、この菜の花は中七下五の皮肉と相俟って、個人の死後の景、或いは人類滅亡の後の景を立ちあがらせる。山村暮鳥の「いちめんのなのはな」をも思い出し、暮鳥という名が夕暮れの鳥を思わせるなら、「暮れてきし」という下五はいよいよ悲しく、懐かしい。ふるさとは、かくもあどけなく未来を信じ、かくも惨たらしく懐かしい。平成十九年。

2015年4月24日金曜日

黄金をたたく18 [高橋修宏]  / 北川美美


和を以てなお淫らなるさくらかな  高橋修宏 

桜とはだいたい淫らな感じと思っるので掲句はツボにはまる。日本国の象徴でもあり、国が栄えるということの目出度い雰囲気のある花、日本人の精神性に置き換えられるといわれている桜である。 その桜、そしてそれを愛でる人達も含み、ややアイロニーの視線でみている心情と読む。

江戸・吉原の桜は、歌舞伎の舞台でもよく登場するが、当時の吉原の桜並木はレンタルでその時だけ植えられたいわゆるチェルシーフラワーショーのような人寄せ桜だった記録を見る。 桜が人の心をワクワクさせ、日常から離れた気分にさせる効果を狙ったのだろう。 ソメイヨシノの明治以後の爆発的人気に、桜並木、桜の名所に人が寄ってくる、老若男女、集ってくるのである。

「和を以て貴しとなす」は聖徳太子が制定した十七条憲法の第一条。日常では使われないその文言の凛とした感じにハッとする。作者はその意味に同意しつつ、<なお淫ら>で「とはいってもねぇ」と思っている。物事すべてに表と裏がある。美しさが醜さを含んでいるように。

<なお>により、この桜は、しばらく咲き続けている満開の桜の風景なのだろう。散る前ぎりぎりの桜のように思う。桜の花の重みで少し枝が揺れている姿も見えてくる。

《『虚器』2013草子舎》

2015年4月22日水曜日

貯金箱を割る日 27[辻本敬之] / 仮屋賢一



湾岸に倉庫のごつた春霞  辻本敬之

 そんなに言うほど湾岸に倉庫ってごった返していたっけ、倉庫って存外綺麗に並んで建てられているものじゃないかな、なんて思ってたら、春霞。遠くから見遣っているのか。なるほどなあ。
 湾岸の倉庫なんて言われたら、ものすごく無機質な感じがするんだけれども、霞の世界の中ではそういう素っ気なさは薄れる。あの倉庫にあるものは、これから世界に輸出されてゆくのかな、とか、巡り巡って自分の手元にもやってきたりするのかな、とか。倉庫ってのも、世界の一部で、いかにも人工物っぽくて湾岸に追いやられている感じがするけど、すごく広い意味で捉えたら自然の一部なんだな、なんて。ほんとうは大してごった返している感じじゃないんだけれども、「ごつた」って感じもしてくる気がする。

霞って、ぼやけて見えにくくするくせに、物の先入観をかき消して本質に到達することが出来そうな、そんな幻想さえ持たせてくれる。


今日の小川軽舟 38 / 竹岡一郎


負鶏のぬけがらのなほ闘へり      「近所」

闘鶏は、もうとっくに勝負がついているのである。負鶏はもう、血まみれのずたずたで、目はまだ開いているのか、それともつぶっているか潰れているか、足元はおぼつかなく、嘴は宙を切り、蹴爪は蹴るに足る高さには上がらぬのである。その惨憺たる様を「ぬけがら」と表現した。もはや鶏は操り人形のようにしか動けぬのであるが、その死に体の鶏を操っているのは、鶏の闘争本能である。哺乳類は先ず大抵痛がり屋で、一旦勝負がつけば、双方大怪我をしない内に引く。蛇のような爬虫類になると、一旦戦いだすと自分が動かなくなるか相手が動かなくなるかするまで、戦いを止めぬという。鳥類はさしずめ哺乳類と爬虫類の間と云った処か。鳥の種類により、どの程度まで戦うかは違うのだろうが、軍鶏はその心情か本能かにおいて爬虫類に近いのかもしれぬ。抜け殻となって尚闘うのは哺乳類にも一種類だけいて、それが即ち人間だ。中でも武士と呼ばれる類、あるいは軍人と呼ばれる類である。本能ではなく、訓練された心情によって、或いは暴走する意地によって、死ぬまで闘う。掲句の負鶏にあわれを感じ、或いは共感するのは、哺乳類では人間だけであろう。平成八年。

2015年4月21日火曜日

 目はまるで手のように言葉に触れる 9[富安風生]/ 依光陽子




春の灯や一つ上向く箪笥鐶  富安風生


祖父が持たせた母の嫁入り道具に一棹の箪笥があった。総桐製で二つ抽斗と三つ抽斗が二段重ねの所謂「東京箪笥」といわれたもので、最上部には袋戸棚が設えてあり、中には隠し鍵附きの抽斗。そこには私と弟の臍の緒など大切なものが仕舞われていた。二つ抽斗は着物が入る深さ、三つ抽斗はそれより倍くらい深く、いづれも箪笥鐶(たんすかん)がついていた。そこには母の余所行きの服が入っていたので、普段は殆ど使われることなく、しんとした佇まいで置かれていたのだが、幼いころの私は箪笥鐶そのものが面白く、ドアノックのようにカチカチ鳴らしたり、上向きにしてみたり、それを握って抽斗を引いたり戻したりしたものだ。

以上、掲句の「箪笥鐶」という文字から蘇って来たきた極私的な回想だが、季題の「春の灯」が意外に効いている。春らしく花見がてらの芝居見物だろうか。「一つ上向く」から、少し慌てた様子が窺える。気持ちが逸っていて箪笥鐶にまで気持ちが残っていなかったので、そのまま出かけてしまったのだ。さて家に残された作者はそんなところに目をとめて、いかにも句材得たりとばかりに句にしてしまった。

富安風生の第一句集『草の花』は、自身が晩年「『草の花』時代の基礎勉強」と言い切っているだけあって、これといった発見のないスケッチ風で単調な句が並び全体的に面白味に欠ける。高浜虚子の序文が懇切丁寧かつ強引に花鳥諷詠に引き寄せ過ぎて空々しいくらいだ。私は風生の本領は飄々とした面白さにあると思う。<垣外のよその話も良夜かな><寵愛のおかめいんこも羽抜鶏>などに見られる俳諧味。後に世に出た15冊の句集においてその色はだんだんと濃くなってゆくのだが。

さて、今や箪笥ではなくクローゼットの時代。まして「箪笥鐶」などという単語を使った句は、もうあまり作られることはないだろう。『草の花』は大正8年から昭和8年までの句から成る。<苗売をよびて二階を降りにけり>などと共に、句の背後にある時代の空気感を味わいたい。

春雨や松の中なる松の苗
蜘蛛の子のみな足もちて散りにけり
春泥に傾く芝居幟かな
寒菊の霜を払つて剪りにけり
羽子板や母が贔負の歌右衛門
大風の中の鶯聞こえをり
一もとの姥子の宿の遅桜
美しき砂をこぼしぬ防風籠
石階の滝の如しや百千鳥
通りたることある蓮を見に来たり
みちのくの伊達の郡の春田かな
よろこべばしきりに落つる木の実かな

(『草の花』昭和8年刊。『現代俳句大系 第一巻』所収)

2015年4月20日月曜日

人外句境 14 [柿本多映] / 佐藤りえ


百物語つきて鏡に顔あまた  柿本多映

ひとつ怪談を語り終えたら、語り手は手元の蝋燭を吹き消す。百の灯りがひとつずつ消えていき、すべての炎が消えたとき、あやかしのものが姿を現す。

いつ、どこで知り得たものなのか、「百物語」ときけば、こうしたスタイルの集いだとすぐわかる。
この「会合」の形式の、はっきりした起源が不明だということがまず怖い。


掲句ではどうか。きちんと百、話が済んだのだろう。灯りの落ちた部屋にある鏡、そこに顔がびっしり浮かんでいた。

浮かんだ「顔」は、あやかしのものというより、何が出てくるのか気になって仕方がなくて、つい顔をのぞかせてしまった、鏡の向こうの住人のように思えてならない。

興味津々な連衆と同じ、「あやかしの出現を待つ側」の立場のものなのではないか。

「何」の顔とも書かれず、「顔あまた」と書き留められたところに、「顔」をごく普通に受けとめているような気配がある。

〈『夢谷』東京四季出版/2013〉

2015年4月19日日曜日

今日の小川軽舟 37 / 竹岡一郎



野火走る絵巻解きのべゆくごとく    「手帖」


野火というものは透明でどこまで伸びたか一見して分らぬものである。草が黒くなってゆくので漸くそれとわかる。掲句では、どんな絵巻かについては言及していないが、平治物語絵巻のような戦記物の絵巻ではないかとの連想が働く。反乱が広がる事の喩に「燎原の火のごとく」とあるように、野火は戦を思わせるからである。

絵巻と限定している処から、あくまでも絵としての戦であり、流麗にして優雅な二次元の戦火であろう。「解きのべゆく」の措辞からは畳の上に絵巻物を拡げていって俯瞰する如く、高い位置から野火を見下ろしている印象を受ける。即ち、この措辞によって作者の視点を定めているのである。平成十八年。