百物語つきて鏡に顔あまた 柿本多映
ひとつ怪談を語り終えたら、語り手は手元の蝋燭を吹き消す。百の灯りがひとつずつ消えていき、すべての炎が消えたとき、あやかしのものが姿を現す。
いつ、どこで知り得たものなのか、「百物語」ときけば、こうしたスタイルの集いだとすぐわかる。
この「会合」の形式の、はっきりした起源が不明だということがまず怖い。
掲句ではどうか。きちんと百、話が済んだのだろう。灯りの落ちた部屋にある鏡、そこに顔がびっしり浮かんでいた。
浮かんだ「顔」は、あやかしのものというより、何が出てくるのか気になって仕方がなくて、つい顔をのぞかせてしまった、鏡の向こうの住人のように思えてならない。
興味津々な連衆と同じ、「あやかしの出現を待つ側」の立場のものなのではないか。
「何」の顔とも書かれず、「顔あまた」と書き留められたところに、「顔」をごく普通に受けとめているような気配がある。
〈『夢谷』東京四季出版/2013〉