負鶏のぬけがらのなほ闘へり 「近所」
闘鶏は、もうとっくに勝負がついているのである。負鶏はもう、血まみれのずたずたで、目はまだ開いているのか、それともつぶっているか潰れているか、足元はおぼつかなく、嘴は宙を切り、蹴爪は蹴るに足る高さには上がらぬのである。その惨憺たる様を「ぬけがら」と表現した。もはや鶏は操り人形のようにしか動けぬのであるが、その死に体の鶏を操っているのは、鶏の闘争本能である。哺乳類は先ず大抵痛がり屋で、一旦勝負がつけば、双方大怪我をしない内に引く。蛇のような爬虫類になると、一旦戦いだすと自分が動かなくなるか相手が動かなくなるかするまで、戦いを止めぬという。鳥類はさしずめ哺乳類と爬虫類の間と云った処か。鳥の種類により、どの程度まで戦うかは違うのだろうが、軍鶏はその心情か本能かにおいて爬虫類に近いのかもしれぬ。抜け殻となって尚闘うのは哺乳類にも一種類だけいて、それが即ち人間だ。中でも武士と呼ばれる類、あるいは軍人と呼ばれる類である。本能ではなく、訓練された心情によって、或いは暴走する意地によって、死ぬまで闘う。掲句の負鶏にあわれを感じ、或いは共感するのは、哺乳類では人間だけであろう。平成八年。