卵みな零のかたちに冬ざるる 辻美奈子
鳥小屋から卵を拾ったことがあるだろうか。店売りの卵のひんやりとした感触とは違い、わずかにざらつきのあるほのかな温みのそれを掌に受けると、全天の光を一点に集めて、小屋の外の冬景色が掌の卵へ押し寄せてくるようだ。
テレビドラマ版寅次郎シリーズだったか、熱を出したマドンナを看病する寅さんが家主の鳥小屋から卵を失敬するシーンがあった。モノクロのフィルムの、鳥小屋の暗さと卵の白さ、寅次郎のいかつい顔と羽を散らして逃げ回る雌鶏の白い柔らかな質感。当時のカメラの再現度の低さがかえって、色彩のない世界を情緒豊かな表現に見せていた。
冬ざれの、灰褐色と白とブルーグレーの世界に置かれた卵。寒卵をも言外に含みながら、「零」の形とは、まだ生命が生まれる前のその形態にふさわしく、何か生まれそうな予感をもはらんでとかく心も沈みがちな冬を楽しくする句だ。葉を全て落した木々は、しかし春の若芽をその樹皮の下に育んでいて。冬とは、全てをリセットしてまた新たに始める春のための、休眠期間でもある。リセットされたカウンターに並んだ零たちさながら、遠い春を内包した冬の、始まりへ向けての究極のスイッチでもある、卵。
浅蜊口あく歌ふ人形のごとく 辻美奈子
時計草なら間違へることはない
夏休み退屈は夢みるごとし
やや寒のしづかな色の服を着る
紅あはく残して眠る七五三
(「GANYMEDE」62号 「歌の始まるところ」50句詠より)