兄妹照らす電球秋まつり 『手帖』
電球は裸電球だろう。秋まつりは、地元のささやかな祭りだろう。兄妹は慎ましい家に育ち、仲が良いだろう。そう読むと、電球の寂しい黄色い光と、静かな穏やかな家と、祭への期待に静かに胸を膨らませている兄妹が浮かんでくる。そのように景を思うのが、一番容易い。そんな思い出の無い者にも容易く浮かぶ景であって、それは恐らく戦後の一億総中流時代のプロトタイプの幸せであり、昭和三十年代、四十年代の高度成長期真っ只中の風景、いわゆる「三丁目の夕日」の風景だ。「幸福な家庭はどれも似たり寄ったりだが、不幸な家庭は千差万別だ」と、トルストイは「アンナ・カレー二ナ」の冒頭に記したが、誰もが、望むなら同じような幸福を享受できた筈なのが、高度成長期だ。そういう景が懐かしいと思ったことなど一度として無くとも、映画のように見て、穏やかな美しさだ、とは思うだろう。それで充分である。平成十七年作。