狐面狐を恋へる霞かな 『手帖』平成十八年作。狐面自体が恋うと読んでも面白いが、実景として強いのは、狐面をかぶった者が狐を恋うという図であろう。狐面を被るものは狐になりたくて被るのである。狐を恋う余り、狐に連れて行ってほしいのだ。これは例えば、安倍晴明の少年期か。「恋しくば尋ね来て見よ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」である。下五、「霞」も「かな」でおぼろげに流す終わり方も、狐とも人ともつかぬ母の漠然とした姿を象徴している。これを母恋の句と読めば、同じ作者の「いまも少年カンナに母を待つわれは」(「呼鈴」所収、平成二十三年作)のような、明瞭な母恋の句よりも、私などには胸に迫るのだ。
尚、作者には「狐面とりて狐目みやこぐさ」(「呼鈴」所収、平成二十一年作)もある。「狐目」で狐の血の混ざった者を思えば、「みやこぐさ」は朝廷に取り立てられ、都に住んだ安倍晴明の運命をも連想させる。