2015年4月9日木曜日

 目はまるで手のように言葉に触れる 7[吉岡禪寺洞]/ 依光陽子




あめつちの中に青める蚕種かな   吉岡禪寺洞


蚕は昆虫だ。しかし人間の保護下以外では生き続けることは出来ない。何千年もの間、人に飼われ続けることで野生回帰能力失った唯一の家畜化動物、完全なる新種の虫だ。

蚕は生糸を生産する「普通蚕」と、種を遺すための「原蚕」に分けられる。原蚕は次代のために交配し産卵させられる。蚕の卵ははじめクリーム色で菜種に似ているため蚕種と言われ、出荷のため洗われ小分けにされた蚕種は催青まで保護される。孵化直前の状態が催青だ。それまで黒味を帯びてきた卵が青く透き通る。

あめつちの中、この世界の中で、数万の命が刻々と青みを帯びてゆく。良質の桑の葉に風の影響があるならば、外は轟々たる春の嵐かもしれない。天地一指、生命の誕生は劇的だ。

吉岡禪寺洞は明治22年福岡県生まれ。14歳で俳句を知り「ホトトギス」などに投句、30歳のときに「天の川」を創刊。昭和4年40歳で「ホトトギス」雑詠予選を任嘱されたが、その3年後から新興俳句運動に加わり、無季俳句の提唱、多行形式の試みを理由に「ホトトギス」同人を削除され、定型文語俳句と訣別し口語俳句協会を結成するに至った。掲句の収録されている第一句集『銀漢』は昭和7年刊。まさに禪寺洞が新興俳句へと歩み出した年である。つまり『銀漢』刊行は新しい一歩を踏み出すための過去の清算とも受け取れる。芝不器男、横山白虹、篠原鳳作、日野草城、橋本多佳子など禪寺洞の門を叩いた俳人の顔ぶれを見れば、その存在、影響力は大きかったに違いない。

今まさに産まれんとする夥しい数の蚕種の青は、俳句界における新興俳句の誕生の色であった。

うちまじり葬送凧もあがりけり
目刺焼いて居りたりといふ火を囲む
春の池すこし上れば見ゆるなり
衣更へて庭に机にある日かな
篠曲げて拙き罠や鳥の秋
椋の実を拾ふ子のあり仙厓忌
屋根の上に月ありと知る火鉢かな
日向ぼこ影して一人加はれり


(『銀漢』昭和7年刊。『現代俳句大系 第一巻』所収)