くぐりてはくぐりてはさくらへまなこを 飛鳥田孋無公
何かをくぐる。トンネル。花のアーチ。門。鳥居。橋。「ロンドン橋落ちた」で繋がれた二人の手。心に覆いかぶさってくるもの。
くぐるとき人は姿勢を低く頭を下げる。目は足下へ向き、まぶたが伏せがちになるので、一瞬明るさを失う。体制を立て直すと再び明るさが戻る。そのとき眼を向けるのは桜。頭上の花か、あるいは心の中の花か。「くぐりては」の少し詰まったような濁音のリフレインが、あるいは作者に次々と降りかかる困難や試練を感じさせもする。しかし眼を向ける動作は作者の強い意思であり、眼に映る花明りは救いだ。
すべて平仮名で書かれた桜の句ですぐ思い浮かぶものに野澤節子の<さきみちてさくらあをざめゐたるかな>がある。野澤節子は臼田亜浪、大野林火門下。孋無公も同じく臼田亜浪門下であり、林火とは句友である。これは単なる偶然。だが野澤節子の句よりも先行する掲句の方に、より現代性を感じるのは不思議だ。言葉の力みのなさ、ふと口をついて出たままの句姿ゆえだろう。最後に置かれた「を」が限りなく散文に近い形にとどめながら、句絶の効果を如何なく発揮している。
臼田亜浪はある日の句会で、不治の病にある孋無公が句集を出したがっていることを大野林火から聞く。「私は―――句集を出してやること、それは今の場合、彼への唯一の慰めである。そしてそれは、俳壇的に観ても意義が存する―――ことに気づいたのである。」(『湖におどろく』序文より)。かくして亜浪指導の下、林火を中心に句集の準備が進められた。収録句数923句。逆年順という珍しい排列は、関東大震災後から最晩年まで加速度的に光度を増していった句の、最も美味なる部分から読むことができる。句集上木は孋無公の生前に間に合わなかった。しかし後世に貴重な一冊を遺した事は確かである。亜浪の「俳壇的にも意義が存する」という慧眼に、いまは一読者として感謝するのみだ。それにしても孋無公の句集がこの一冊しかないことが残念でならない。私は、『湖におどろく』自序の中で俳句について語られた次の言葉を噛み締めながら、38歳という短い生涯を心より惜しむのものである。
これ程世の中に真であり、善であり、美であるものがあらうか。
飛鳥田孋無公『湖におどろく』自序より
とかげの背わが目まばたく間もひかり
くちぶえにかかはらぬ水鳥白し
あまりつめたきまなこよ草の萌ゆるみち
唯とろりとす春昼の手紙焼き
クローバや雨の焚火が雨焼いて
寝返りはよきもの蜻蛉は空に
月さすや萍の咲きをはる花
かげながす案山子の淡きすがたかな
もつ本の寒さはおなじ電車かな
炎天や人がちいさくなつてゆく
春の雪うけんとす受けとまりけり
草一本の凍らぬ花を町に見し
人ごみに誰れか笑へる秋の風
霧はれて湖におどろく寒さかな
(『湖におどろく』昭和8年刊。『現代俳句大系 第一巻』所収)